安曇野風来亭 道楽日誌 操業日誌 戦国山城散歩 キノコ図鑑 小平漁協書籍部 自己紹介

風来亭 フォト日誌

安曇野潮沢 佐々野城跡・三峰城跡

犀川に流れ込む潮沢と会田川に挟まれる山稜の稜線上に位置する境目の山城。 ここに挑戦するのは2度目。前回は地滑りの痕跡か寸断されてデコボコとなったコンクリート舗装の道路に驚いて、 かなり手前で車を乗り捨てて歩いたために時間を取られ、攻城口を見つけるには至らなかった。 今回はアルプスの山岳ガイドをやっているYさんという強力な援軍を得ての再挑戦となった。

堀平からの眺望

堀平からの眺望
今回は根小屋があったとされる堀平まで難なく車で乗り入れる。林道の終着点の堀平からの眺めは格別で、こんなところに住んでみたいと思わせるには十分。 しかし名だたる地滑り地帯故かあるいは生活の不便さのためか、数件ある古民家は廃屋になって久しいようだ。
ここに限らず潮沢は尾根筋を昔の街道が走っており、要所には物見や砦が築かれてこれを守る番士の集落があった。 潮沢を挟んで右岸には仁科系が、左岸には会田氏系の山城が置かれて互を監視し牽制しあっていたのだ。




佐々野城跡

佐々野城主郭跡
堀平の背後の尾根が城域となっているが立入り禁止の看板のある民有地を避けて左に回り込んで攻城開始。
潅木の少ない湿った急斜面を登ると幾つかの削平地状の地形があって城域に侵入したと気づく。 攻め上ってきたのは幾筋かある竪堀の一つのようで、わざわざ難しい攻城を仕掛けたようだ。
尾根道まで登って左手・南に登るとあっけなく笹野城の主郭跡。
拍子抜けするような狭い主郭だが、境目の監視砦としてはこんなところだろう。小さな祠が祀られている。
主郭から西側に向かう尾根筋にも竪堀で画された小郭が二段ある。

地滑り地地滑り地か障子堀か
佐々野城から北に三峰城に向かうと、尾根道の下部に陥没したような幾つもの凹みがある場所に到達した。 縄張り図では地滑り地となっているが、障子堀のような防御施設と考えられなくもない。
この城に限らず安曇野の東側では地滑りのために遺構の主要部分を欠いている城跡が多く、惜しまれることではある。







土橋一騎駆けの土橋
この城址で圧巻なのは佐々野城から三峰城を繋ぐ痩せ尾根上にある土橋だ。
三峰城の手前の南堡塁を挟んだ土橋はそれぞれ20〜30m程の長さがあり、左右は急崖で土橋を渡らなければ入ることも出ることもできない。 馬一頭がやっと通れる一騎駆けの土橋を押し通ろうとする者を堡塁上から狙い撃ちにできる要衝だ。







三峰城三峰城の主郭
北、東、南に続く三本の峰の最高所にあることから三峰城ともおてんじょうとも呼ばれる。 潮沢では朝日が早く当たるので旭城と呼んでいるとか。
ここからは潮沢筋及び対岸の山々も良く見渡せるため、南の佐々野城と東の花見城とを継ないで境目を守る会田氏側の重要拠点だったと思われる。







旧街道旧街道
境目の城はまた昔の街道を監視する役割もあった。佐々野城と三峰城は城内に街道を取り込んだ形となっている。
尾根筋や山腹を通る街道は、沢筋や平野部を行くより見通しが良く安全であり、生活道路でもあった。
また、冬場の積雪を考慮してか概ね東南の向きに付けられており、この道ををさらに東に向かうと先日攻めた花見城に至る。
この時期は暖かい陽差しを浴びながらの快適な里山歩きが楽しめそうだが、同じ道を戻らねばならないし、花見城までの地図も用意してないので断念。 次の機会の楽しみとすることにした。



堀平の古民家堀平の古民家
城跡から下って林道から振り返ると、根小屋のあった堀平の古民家が山と森に静かに抱かれていた。
潮沢の集落は街道のある山の上から下に向かって開発が進んだとされる。この堀平の集落も佐々野城の根小屋として始まっているはずなので、 歴史は古く鎌倉時代にまで遡るであろう。
鎌倉時代に東真から進出してきた海野氏の一族が会田に本拠地を構えた頃に遡ると考えられる。
世は戦国時代から江戸、明治と経るにつれて次第に生活の場は山から下に移りり、山の中の集落には廃墟のみが残されるようになってしまった。



2015年12月7日

<< BEFORE<< >> NEXT >>