鞍骨城跡にはこれで3度目の挑戦。一度目は妻女山から清野に抜ける林道を走って攻城口を探したものの発見できず、
2度目は竹山城址のある象山からの尾根道を伝って進んだが雨天に阻まれて途中で撤退。
3度目の正直の今回、登山口の標識がやはり発見できなかったので、思い切ってそれらしい山道に入る。
道の両側には苔むした石が積み重ねられていて、城の遺構かそれとも雨季の水路なのか判然としない。
所々に赤いテープの目印があるので迷う恐れはないと思っていた。
しかし急斜面になるにつれて道は竪堀風に変わり進退が困難になる。道に迷ったことを知る。
引き返すのも困難な場所に入り込んでしまった。
上方を見上げると尾根筋が削平されて城郭を思わせる部分がある。
とにかく尾根まで到達しなければと、
一段低い平地を目指して立ち木にしがみつきながら細い獣道を登る。
何度も足を滑らせてようやく尾根に到達してみたら、そこはやはり郭だった。
さらに上段には石積みで固められた本郭があって、鞍骨城址の説明板が立てられていた。
3度目にしてやっと鞍骨城攻略に成功したのだ。
これまでの山城歩きは尾根の先端部分から三の郭、二の郭、本郭と順番に登り詰めてきていたが、
今回は尾根の側面からのハードな直登、到達した瞬間に降参したくなる攻城ではあった。
おそらく実際の戦でも尾根の側面からの攻撃は相当の困難を極めたことだろう。
山城攻略には10倍の兵力が必要だと言われるのも納得がいく。
本郭からは妻女山、唐崎城跡、鷲尾城跡、
竹山城跡、そして海津城のある松代の町を間にして
尼厳山城跡、寺尾城址、金井山城址が展望できる。
鞍骨城址攻略でこれら海津城を取り巻く山城をほぼ踏査したことになる。
これらの山城巡りの実地経験から考えるに、武田軍の「きつつき戦法」はありえないとの印象を得た。
仮に清野から妻女山につながる林道が戦国の世に開通していたとしても、それは不可能だったように思える。
本郭の周囲に咲くアブラチャンの小さな黄色い花が芳香を放っていた。
<蛇足>
帰途は尾根筋に築かれた段郭を幹に巻かれた黄色いテープを探しながら順に下る。
送電線の鉄塔まで下ると二条の深い堀切があってそのまま竪掘となって尾根の左右に切り込まれている。
鉄塔の手前の小道を右折して降下開始、40分ほどで林道に達した。
肝心の登山口の標識は林道から縦堀とおぼしき道を20mほども入った地点にひっそりと立っていた。
林道を3〜4往復したのに見つけられなかった訳だ。
入山地点からは200mほども離れていた。
北信の山城巡りをするなら案内標識は皆無と考え、万全の装備で臨んだ方が無難だ。
2007.4.7