鞭声粛々と謙信公の軍勢が千曲川を渡った雨宮の渡し。
現在は住宅地の中の小さな公園の中に頼山陽の碑文を残すのみで渡河の様子を偲ぶよすがもない。
そこから程近い距離に唐崎城跡がある。小さな神社の石段から入山する。
山道は轍こそ無いものの林道かとも思われるほど良く整地されており、登山道の案内標識もある。
九十九折に登っていくとそこかしこにタラの木があって、春の訪れが楽しみ。
そういえば先週登った和合城にもタラの木林があった。山城は山菜の宝庫でもある。
15分ほどであっけなく本郭跡と思われるピークに到達。
案内看板は無いが到達時間と周囲に幾つかの段郭があるところから見て本郭に間違いはなさそう。
ほぼ中央に1坪ほどの水溜りがあった。
ただの水溜りなのか井泉なのか疑問に思ってストックを突いてみると2〜30センチの深さがある。
雨水によるものではなさそうだ。
謙信の本拠地の春日山城にも高所であるにも関わらず大きな井戸があった。
春日山城と同じようにサイフォン効果によって滲み出しているのかもしれない。
山城の最大の弱点は水。
各地の山城には白米で馬を洗って敵の目を欺いたという伝説が多い中、心強いことであったことだろう。
城主は村上方の雨宮氏で、義清が信玄を破った上田原の戦いに参加して戦死したとか。
雨宮氏はその後武田方に降って勝頼とともに滅びたという。
近隣の屋代氏が主君を乗り換えて幕末まで生き残ったことと比べ、戦国の武将の運不運を思った。