安曇野に移住したからにはその中心にある等々力城跡を訪れなくてはと常々考えていたが、
平地だからいつでも行けると後回しになっていた。
本陣等々力家の周辺にあるだろうと探してみたが城跡が見つからない。
ワサビ田が堀跡に見えたり、掻き揚げた土砂が土塁に思えたりして、
戦国呆けした頭にはどこもかしこも遺構ばかりということになる。
安曇野でワサビ栽培が普及したのは明治以降のことだから、ワサビ田が堀跡であるはずがない、
でも、堀跡をワサビ田にしたとも考えられるし・・・・とかなんとか・・
結局、地形から探し出すという楽しみは諦めて、等々力家の隣にあるワサビ屋さんで尋ねることにした。
「標識の他には何もないですよ」とは、地元の人のいつもの弁。
「いいえ、きっと何か遺構があるはず」と心でつぶやいて城跡に向かう。
絵に描いたように城跡の虎口から常念岳が正面に眺められる。あたかも常念岳が天守であるかのようだ。
左右を土塁で固めた虎口の前には用水が流れ、左の土塁には不動明王立像と等々力城跡の標柱が建てられている。
虎口を入ると広い麦畑が開けていて、ここ城域の核心部と思われる。
左側の切岸を用水堀を巡らして固め、
右側は2〜2.5mほどの高さの土塁が奥まで50mほど続いている。
藪に覆われているため幅は不明だが郭となっている部分もあるようだ。
もしかしたらこの藪の中に主郭があるのかもしれないと想像したりする。
外側は比高差10mほどの切岸となって落ち込んでいる。
しかし山城を見慣れた目にはさほど攻略が困難な城とは思えない。
周囲の山城に拠った豪族が小笠原氏によって謀殺されたり滅亡に追いやられたりしているなか、
等々力氏は江戸時代に至るも命脈を保ってきた。
これは等々力氏の城がさほど堅城でない平城であったことと多少の関わりがあるのかもしれないと、ふと考えた。