祭りのときほど自分がよそ者であることを感じ寂しさのようなものを覚えるときはない。
町内の子供たちが嬉々として山車を引っ張る姿を見ていると、自分は何者で何処から来たのか?なんて感慨にふけったりする。
先日の安曇族サミットは「いつ、どこから、なぜ・・・」と安曇族の謎に迫てくれるはずだったが、消化不十分で不満が残っっていた。
しかし、眼前で進行する御船祭りはそんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれる鮮烈なものだった。
御船祭りで引きまわされる山車は車輪こそついているものの、船の形状に丸太で組み上げられている。
船首と船尾はそれぞれ男物と女物の着物で覆われており、
左舷に「加藤清正の虎退治」や「真田幸村の大坂の陣」のシーンなどを人形で造りこみ、右舷を紅白と
青や緑の幕で覆っている。
この御船祭り、古代の安曇野に住んだ人々がかって海人族だった伝統を残すものとされ、
唐と新羅の連合軍に対し日本水軍を率いて白村江の海戦で敗死した安曇比羅夫を供養する祭りともいわれる。
9月27日はまさに比羅夫が戦死した日で、この日に御船のぶつけ合いが行われることから白村江の海戦を模したものとも。
ぶつけ合いを行うときには船首部分の着物や幕を剥いで丸太の骨組みをむき出しにするのだが、
内部にはお囃子の笛を吹く女の子たちが乗っており、ぶつけあいの瞬間もたじろぐことなく端坐しているのには
驚きもし、感動もしてしまった。
男衆の威勢の良さよりも、何故か強い印象を受けた。