安曇野に移住して2カ月余り、ようやく山城の攻略に取り掛かるゆとりも出てきたので、
早速自宅周辺の地を支配していた塔原氏の山城を探索することにした。
塔原氏は東信から進出してきた海野氏の一族で、塔ノ原に居住したことから塔原を名乗り、
居館は山麓の雲龍寺と明科中学校付近にあったという。
その本城が長峰山の尾根上にある塔ノ原城だ。小谷(こや)城はその出城という。
まずは塔ノ原城の出城とされる小谷城跡。 犀川に流れ込む会田川がJR篠ノ井線の手前で大きく湾曲して削り残したかのような岬状の尾根にある小城で、 三方を深い谷に囲まれ、攻め口は細い尾根道に限られる。 守るに堅いが入口を塞がれると袋の鼠よろしく出るに出られない。 もっとも大手口と思われる付近は道路と線路で改変されているので往時の姿を知るよしもない。 こちらが大手だとしたら現在の道路付近にも防御施設があったものと思われる。
大手道と思われる土橋のような細い尾根筋を渡り、両側を竪堀で扼した虎口を入ると20m四方ほどの削平地がある。
城域内では最高所なのでここが本郭かもしれないが、大手口に近すぎることから疑問も残る。
地図上では城山公園となっているが、それらしいものは何もない。
会田川の谷を挟んで潮神社の裏山の雷山が大きく見える。
城とはいうが狼煙をあげる砦程度のものかとも思った。 しかし、本郭の左脇に取り付けられた坂道を切岸に沿って右回りに下りると、 本郭の裏手に朽ちかかった東屋と城山保存会の看板が掲げられた小屋があって、 公園化の作業を整備途中で放棄したかのような平坦地が広がっている。 ここが二の郭だろうか、水の確保さえ可能なら百人以上の兵を収容できそうだ。 しかし水の流れは50mの断崖の下を流れており、水の確保は難しそうだ。
岬の突端にはこれも朽ちかけた赤い鳥居を構えた城山稲荷神社の社が建っている。
三方は断崖絶壁で今にも崩れ落ちそうで身の危険を感じるほど。
犀川沿いと会田への街道を監視するには絶好のポイントで、むしろこの場所が本郭だったのかもしれない。
しかしどん詰まりで逃げ場がない。
次いで塔原氏の詰城・塔ノ原城に向かう。
「金玉池」とはなんとも妙なネーミングで思わず失笑してしまうが、
長峰山頂と塔ノ原城跡へ向かう道の分岐点にあって、
良く整備された静かな林の中に仏像や歌碑などの石碑群に囲まれて陽光に輝いていた。
往時は城兵の水場ででもあったのだろうか。
入口に止め山入山禁止の看板。キノコ狩りをするには一口3000円なりの監察を買わねばならない。
暫くキノコ狩りをやってないので魅惑的ではあるがきょう日はセシウムが心配なので当分はおあずけだ。
道祖神をカメラに収めているとキノコ狩りの人が林の中から現れた。 周辺はアカマツの美林なので獲物はマツタケかと思いきやアミタケだった。 土が焼けていて不作だとしきりにボヤクこの人、足回りを地下足袋で固め、腰に竹かご・クマ除け鈴、 ネズミサシの杖を手にした正しいキノコハンターのスタイル。 「最近のキノコ狩りはマナーがなっていない!」と、怒る。 とりわけキノコ狩りに長靴なんぞモッテノホカ!地下足袋こそが正しいマナーとか。 思わずキノコ眼の師匠を思い出す。
塔ノ原城跡の入口まで来たが、城跡に向かう道は踏み跡も定かでなく藪に覆われていて
内に踏み込めない。キノコ狩りの人に「マムシが出る」と脅されたからだ。
この時期の山城歩きでスズメバチと蛇ほど怖いものはない。冬に再挑戦することを誓って潔く撤退。
御近所の城ということで真っ先に攻略しなければならない山城だ。