上原城は諏訪盆地を一望する金比羅山頂(標高978m)にある。その遺構としては
主郭・土塁・二の郭・三の郭・曲輪・空堀・物見石等があり、上原城の中腹の小字板垣平(およそ1ha)には居館跡がある。
この城は、北は永明寺山を背に、北西に桑原城、東に鬼場城等をひかえ、前方南には上川や宮川を隔てて干沢城に対し、
諏訪上社(本身や前宮)を見下ろした中世の典型的な山城である。築城の年代は詳らかでないが、
室町時代の後期、文正元年(1466)頃より、諏訪惣領家当主信満がこの城の中腹に館を構え、上原郷に城下町をつくった。
その後、諏訪氏は信満―政満―頼満―頼隆―頼重の五代70余年にわたり諏訪地方を統治したが、
天文11年(1542)7月、甲斐の武田晴信(信玄)によって滅ぼされ、惣領家諏訪氏は滅亡した。
以後、上原城とその館は武田氏の諏訪地方統治と信濃攻略の基地として、天正10年(1582)武田氏の滅亡まで約40年間続いた。
この城跡は昭和46年5月27日、長野県史跡に指定された。
なお、三の郭にある金比羅神社は、頼岳寺18世尊応が文化2年(1805)に頼岳寺の守護神として、
四国の讃岐より金比羅大権現を勧請してこの地に祀ったものである。