自宅から20分ほどの丘陵にある南北朝時代の山城・寺尾中城は、
健康づくりのための格好のウオーキングコースなので何度も訪れてきた。
しかし本郭から五の郭まで全体を俯瞰する縄張り図が見つからないので、
自分で描いてみようと思い立った。
高崎の観音山丘陵から下る三本の山襞の中央の尾根筋に構築されたこの山城は、
外側の襞にひっそりと隠れているかのように見える。
新田義重が挙兵した城とされるが、平家方ばかりでなく一族の源頼朝からも身を隠していたかのような立地だ。
さらに下っては、北朝方に追い詰められて信濃に逃れて自刃した南朝方の尹良(タダナガ)親王も拠点としてい山城だ。
周囲を威圧して支配するのではなく、ひっそりと隠れて勢力を温存するに相応しい山城のように思える。
自然地形を活用した南北朝期の典型的な連郭式の山城ということだが、
大手側から攻め上がる限り、少数の兵でも守り切れるように工夫が施された遺構が要所要所に見られる。
搦め手側の遺構がファミリーパーク工事によって、削平または埋め立てられてしまったのが残念。
パーク建設前に発掘調査されたという遺構も埋め戻されてしまったようで、工事前の様子を偲ぶよすがもない。