山城歩きとは言え、群馬には山城然とした城跡は少なく、平山城や崖端城ばかりで、
健康づくりという副次的な欲求には不十分。
そこで、山歩きも楽しめる山城ということで甘楽の国峰城跡を再訪した。
武田の赤備え騎馬軍団としてその勇猛さを知られた小幡氏の拠点だ。
見事な竪堀を覗き見ているとゴミを拾い集めながら下山してくるグループに出会った。
地元の歴史愛好会のグループのようで、山城巡りをしていると話すと、
封筒に入った資料一式を譲ってくださった。
封筒には小幡氏の系図をはじめ国峰城跡の地図や城郭の用語解説の他、
「国峰城と長野県北信地方の諸城・国峰城とその周辺の保存を訴える」と題した草稿のコピーが入っていた。
原稿用紙20枚からなる草稿は長野県豊田村替佐の風間宣揚氏によるもので、非常に興味深いものだった。
長野に居た頃替佐城跡には訪れたことがある。
風間氏は、国峰城と長野県北信地方の諸城との関係の深みついて論証を試みている。
まず、対謙信の北信の防衛拠点・替佐城は小幡上総介が築いたとの伝承を基に、
@替佐城付近には「ビワ島」をはじめ、「小丸山」「舞台」「金掘り」「首切り場」など甘楽地方の地名と一致する場所が多い。
B戦死者に鍋を被せるという埋葬方法が甘楽地方のそれと酷似している。
C国峰城お特徴である竪堀が替佐城跡に5本あり、防御用というより麓と頂上を結ぶ最短通路として使用された。
D棘のある有刺植物が植えられている。
E北信地方に甘楽地方の旧家と一致する姓が多い。
等々、北信の諸城は小幡氏が築いたものであり、その地域に家臣農民が移り住んだ痕跡が残るとしている。
土地柄だろうか信玄びいきの口調が気になったが面白い推論だと思った。
全文をここで紹介したいところだがさすがに憚られる。
著者の風間宣揚氏は地元の郷土史家のようで
「替佐城と小幡上総介 」という著作があることをネット検索で知った。
著者は最後に、
「今回国峰城の周辺が開発の危機にあるという情報を耳にして、同城と甘楽地方が、
長野県北部地方にそのまま姿を映している実情を訴えたつもりである。
国峰城は両地方の共通財産であり、我々長野県人にとって、本家本元の景観が失われることなく、そのまま
保存されることを強く望むものである。」と、訴えている。
国峰城に限らず戦国期の城の多くは捨て置かれ、知らぬ間に破壊され、市街化の海に飲み込まれていたりする。
氏ならずとも寂しい限りではある。