群馬にも徳川家康を祀った東照宮があると聞いて世良田を訪れた。
「新田源氏のふるさと・徳川氏発祥の地」というだけあって、
町内のあちこちに新田氏ゆかりの史跡が散在しているようだ。
でも今回は時間がないので、
徳川氏発祥の地をテーマにして長楽寺と東照宮のみで我慢することにした。
家康が幕府を開くに当って、源氏の血筋でないと征夷大将軍に任じられないということで、
系図を捜し求めて新田源氏の末裔になりすましたとか。真相探究も面白そう。
長楽寺は新田重義の四男で徳川の祖とされる徳川(得川)義季が創建、
江戸時代には徳川家の祖霊を祀る寺院として繁栄を極めたようで、
群馬県指定の重要文化財となっている勅使門・三仏堂・太鼓門に名残を留めている。
遠祖とされる義季からの累代の墓もある。
家光の時代には天海僧正が日光東照宮の拝殿を境内に移築して東照宮とした。
殻門・拝殿・本殿は国の重要文化財となっているが、
それらの全てが大掛かりなアリバイ工作に見えてきたりする。
昭和初期建立の新田一族供養塔の方が何故かかえって惹かれるものがある。
昭和16年に建立されたこの塔は、当時の世良田村有志十数名からなる発起人により、
新田一族並従臣忠霊供養塔建設会が組織され、
その呼びかけに応じた県の内外数百名に及ぶ篤志家と、世良田国民学校児童をはじめ各種団体の賛同により、
その浄財が寄せられ完成された。
その建立の趣旨は、新田義貞公戦没して六百余年、公の事蹟は国民の広く知るところであり、
国や県等においても神として奉斎されているが、新田一族のそれはあまり世に現れず、
従臣に至ってはほとんど顧みられない現状を遺憾とするものである。
太平記により、堀口貞満の言を借りれば「義を重んじ節に殉じて死屍を戦場に曝した者は、
一族132人、郎党士卒八千余人」とある。その後の転戦を合わせれば、万余に及ぶ将兵が、
二度と再びふるさとの地を踏むことなく、異郷の土と化したのである。
ここに義貞公と並んで新田一族従臣の忠霊を供養のため造塔の仏事をなさんとするものであった。
開眼法要は10月5日、男爵新田義美、群馬県知事代理尾崎喜佐雄をはじめ郡内官民多数の列席を得て営まれた。
以後毎年5月8日、50年を経た今日も関係者によって供養の法要が営まれている。