安曇野風来亭 道楽日誌 操業日誌 戦国山城散歩 キノコ図鑑 小平漁協書籍部 自己紹介

小平漁協の通勤娯楽

2000.1.10


 書店では何度か手にしながらも、著者名の破廉拳一・矢張双のおふざけ気味の? ペンネームに内容までも推測して購入をためらったまま年を越した本。古本屋で再発見してその値頃感(定価の60%)でようやく購入 (^−^;著者の一人・破廉拳一氏の本名が門谷憲二氏 (B◎◎K Fishing No11で紹介した「盆の釣り」の著者)であることを知ったからでもある。

「 釣魚大変・漂流篇」 破廉拳一・矢張双 朔風社 1600円 1999年 3月26日

 破廉拳一の「釣り師の体質的好色学」は「釣り師は一般的に好色で短気な者が多い」という大命題に 「釣りは想像の美学」であり「創造の苦学」であるとして解を与える章。
 「人間の恋人同士のように、 釣り師と魚(こいびと)は生まれながら糸で結ばれてはいない。釣りとは、魚の対して、釣り師が一方的に望む恋愛関係なのだ。 しかも一方は陸地に、片方は水の中という逆境にある。ロミオとジュリエットでさえ、こんな困難を乗り越えてはいない。 それでも、いや、それだからこそ釣り師は燃える。たとえ、魚(こいびと)の姿が煌めく流れの下に見えなくても、 自然の中で一本の糸で結ばれる瞬間を夢見て糸を出していく。」
 「・・・そして神経のすべては、 まだ見ぬ恋人をいかに自分の技倆で騙し、我が手許へ引き寄せるかに集中する。しかも、それは、 自分が判断し計画した手の混んだ方法で成されなけけばならない。そのめぐり逢いの過程に困難があればあるほど、歓びは増す。 姿見えぬ相手と対峙する時、美しい肢体を思い描き、想像は妄想にまで膨れ上がる。これこそ完璧に淫靡な世界である。」

 矢張双の「一寸幻談」の三編の短編小説のうち「日之景川」が秀逸。
 釣りだけが生き甲斐という夫を持った妻の告白の手紙。 九州各地の釣り仲間から川で釣りをしている夫を見かけたという連絡をもらったが 、実は一週間前に既に死亡しているのだというところから妻の述懐が始まる。 子宝に恵まれなかったのが原因で無趣味だった夫が次第に釣りにのめり込んでいったこと、そんな夫が愛おしかったこと、 しかしフライフィッシングの道具を購入するために8年間の貯えを数ヶ月で費やしてしまったこと、 釣り道具への変態的な愛を示し始めた夫との溝が深まっていったこと、そして妻の狂気の爆発、 妻は夫の背中にナイフをつきたてて殺してしまったのだと。
 妻の屈折した愛情が見どころ。

 他に、居酒屋での釣り談義から飛び出したような「読んだら役に立たない釣り諺辞典」「嗚呼、快感ヒット集」 「魚類学妄想白書」など、ウイットとユーモアに溢れて楽しい。

 「釣りに勤しむばかりに、 時として我々は、変人、人間嫌い、しつこい奴、揚句の果てに変質者の憂き目にまで逢う。」としながらも、釣り師や釣り、 魚のあれこれを面白がりながら平易に解き明かしてくれる格好の釣りアラカルト入門書。 これさえ読めば全くの初心者でも酒場での釣り談義に苦痛なく参加できるかも。釣り師の弁明書でもある。
   「漂流篇」という意味が難解だが、続編の「怪傑篇」で解決できるのかな?

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