「週刊朝日」の11月26日号に「銀山湖に放されたブラックバス」というグア記
事が掲載されました。
やっぱりと言うか、とうとうと言うべきか、来るところまで来たという感じです。
かっては秘境とまで言われた岩魚の聖地・奥只見の銀山湖。バスを密放流した「業者」に強い怒りを覚えます。
バサーにとっても「釣り場が増えた」などと無邪気に喜んでいる場合ではなさそうですね。
第35号で紹介した「ブラックバスがメダカを食う」の著者・秋月岩魚氏ならずとも、
「バス釣りは犯罪である」と言いたくなるようなショッキングな事件です。
バス放流問題やキャッチ&リリース、海ではコマセ、釣り人の間では口角泡を飛ばし、
時には敵対的な議論になりがちなテーマですね。「ブラックバスがメダカを食う」を紹介したとたん、
読者が少し減少しました(^−^;
火に油を注ぐつもりはありませんが、
同じ「キャッチ&リリース」でもバスとフライとではニュアンスがかなり異なるように思われるのですがいかがでしょう?
故・芦澤一洋氏はあの世でどう考えているのでしょうか。
「私を呼ぶ川の匂い」
芦澤一洋 小学館文庫 1999年10月1日
「伝説のバックパッカーが綴る水辺のエッセイ集」第3弾。
フライ・フィッシングの持つ麻薬のような魅力を余すことなく伝えてくれるF.Fのコンセプト・ブックと言ってもよい
著作だろう。もっとも。フライについては超初心者の私ですから、感想を述べるのは憚られます。
ここでは「キャッチ&リリース」に関するいくつかの文を紹介するにとどめましょう。
「ゲーム・フィッシングは格式を持った貴族のスポーツであるとして完成をみた。
しかし、その貴族的であるが故に一般社会の枠外に考えられていたこの遊びは、
自らの弱さ故にひきおこした自然破壊の猛威を前にして、もう一度動物に帰ろうと決意した、
遊牧指向の人間たちの手で、今、新たなスピリットを注入され、大自然の中で生き抜くための訓練のひとつとして、
クローズアップされはじめた。」
「殺し、滅ぼしてしまうかかわりあいから、闘い、
なお一緒に生きようとするひとつのスピリッツに貫かれた行動。
そのうちの一分野としてゲーム・フィッシングは位置づけられる。」
「ゲーム・フィッシング。それは、ただ魚を殺すためのスポーツではない。
畏怖するに足る大自然の中で、真の野生とめぐりあい、それと闘い、勝利を収めること。
その喜びの中にこそ、ゲーム・フィッシングのスピリットがあるといえる。
素晴らしい釣りをしたいと思うなら、まず素晴らしい自然を保全しなければならないだろう。」
この数行の文から考えても、フライ・フィッシングとバス・フィッシングとでは一見共通性があるように見えますが、
両者は似て非なるものであることは明らかです。バサーにしても豊かな自然環境の中で釣りたいという
気持ちは十分に理解できます。しかし、奥只見にブラックバスは全く似合いません!
奥只見で尺岩魚を追い求めている某君は「銀山湖で初めて釣り上げるのが岩魚でなくてバスになってしまう!」
と嘆いていました。
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