栃尾は学生時代にゼミの合宿で訪れた懐かしい場所だ。
明治維新期の栃尾の農民一揆の古文書調査だった。
合宿した場所はいったい何処だったのか、もしかしたら友人が覚えているかと携帯に電話してみた。
生憎と出ない。
それが携帯電話を手にした最後の記憶だった。
史学生のくせにその頃は戦国時代には関心が無く、
謙信が弱冠15歳にして初陣を飾った土地だということは全く脳裏になかった。
栃尾は30数年ぶりだが栃尾城址を訪れるのは初めてのこと。
駐車場から近い岩鼻橋の登城口から入る。「天地人」人気で訪れる人を見込んで
取り付けられたと思われる真新しい階段の山道をあえぎながら20分ほども登ると
いきなり二の丸下の切岸に到達。
それまで遺構らしいものがないことに半ば諦めながら、チゴユリの花に慰めらて登ってきた。
しかし切岸を回り込んで削平された鞍部に立って驚嘆した。
右側に本丸、左側に段郭を配した二の丸が待ち構えていた。
本丸と二の丸は土橋で結ばれ、それ自体が土塁の役割も果たすように防御システムが構築されているようだ。
帰途は大手道を下る。次々と現れる遺構の数々に夢中になってシャッターを切る。
カメラに夢中になりすぎて携帯を落としたことにまるで気がつかなかった。
その後、謙信の母の栖吉城跡を訪れ、紛失が判明したのは高速道のSAエリアだった。
城跡で落としたのならほぼ絶望だと諦めたが、一応念のためということで、
立ち寄った蕎麦屋や着替えをした駐車場等を探しまわった。
しかし見つかる訳もなく、ダメ元ということで栃尾警察署に立ち寄ったところ、
地元の方が本丸跡で拾ったとの届け出があり
長岡本署で預かっているとのことで無事に回収。
運の悪いことは続くようで、夢中で撮り続けた栃尾城跡分の全てと
栖吉城跡の半分がメディアから消失してしまっていた。悪夢の二連発。
で今回は、オボロゲな記憶を頼りに稚拙なスケッチを描いてみた。
かなりいい加減な図とは思うが、再訪して確認することを次回の楽しみとしよう。