大学時代の仲間との恒例となったツアー、今回は甲斐大泉に別荘を持っている仲間を尋ねての八ヶ岳山麓ツアー。
台風14号が接近する中で敢えて決行。皆、日頃の行いがよろしいようで、雨や風もさしたる影響は無く、
予約したレストランやペンションは他に客は居らず貸切状態。心行くまで旧交を温めることができた。
そして、小生のたっての希望で訪れたのが谷戸城跡。常陸を追われた源清光が築城し、甲斐源氏繁栄の礎となった城だ。
清光は武田信玄の16代の先祖に当たる。
城域は土塁や空堀などの遺構が復元整備され国の史跡に指定されている。
それほど堅固な城と思えないのは戦国争乱期の前の時代に領域支配の権威のシンボルとして築かれたためか?
何よりも土塁の内側に空堀が掘られていることを奇異に思った。攻め上がった敵は土塁から郭内を見渡せ、
弓矢等で容易に攻撃を仕掛けることができる。空堀が必ずしも防御施設として役立っているとも思えないのだ。
これまでにこのような遺構は見たことがない。
郭内のあちこちにコガネタケが生えていたので、しばしキノコ狩りを楽しむ。
収穫したコガネタケは友人の別荘でバーベキューにしたが、
多少癖はあるものの濃厚な味わいがあった。
北帯郭と二郭土塁 二郭土塁と空堀
二の郭の空堀 三の郭の空堀
本郭土塁 本郭土塁
本郭虎口 本郭虎口
史跡谷戸城跡は、平安時代末期に逸見清光(1110〜1168)が築城したと伝えられている。
逸見の地を本拠とした清光は多くの男子に恵まれ、その子らが甲斐国内で勢力を扶植したことから、
次の代では甲斐国の広い範囲を甲斐源氏が支配することとなった。
なかでも武田信義は平家追討に功を上げ、後に戦国大名となる武田家の基礎を築いた。
城は流れ山とよばれる小山を利用して築かれており、
北に巡らせた横堀と西側を流れる西衣川で区画している。
城内は山頂部の一の郭を中心に、二の郭から五の郭までを同心円状に配し、
西側の山裾には館が置かれていたと想定される六の郭が広がる。
各郭の出入口は喰い違い虎口が多用され、空堀は等高線に沿うように掘る横堀が発達している。
発掘調査による出土品は14〜15世紀のものが中心を占め、現代に伝わらなかった歴史をもつ城跡であることがわかってきている。