上野(群馬)と武蔵(埼玉)の境目にあって武田と北条との争奪戦が展開された御嶽城、
最後には関東の他の城同様に小田原征伐の際に前田・上杉軍によって攻め落とされ廃城となった。
国の重要文化財の多宝塔を右に見て七五三で賑わう境内を抜けて城跡に向かう。
ウッドチップが敷き詰められた薄暗い山道を歌碑を眺めながら登る。
一億年前の地殻変動の折に磨き上げられたという国の天然記念物・鏡岩を回り込んでさらに急登すると、
陽だまりの中に石仏が林立する鞍部の広場に出る。ここが東郭とされる。
まずは弁慶穴を覗いてから社の裏手の岩山に登る。修験道の護摩壇として使用され、
古くは物見台であったと思われる。
榛名山や赤城山が一望できる格好の展望台だ。金鑽神社詣でのついでに訪れたか家族連れに占拠されていた。
振り返って見る本郭方面は森の中。ヤブを掻き分けて土橋のような尾根道を行く。
尾根筋に竪堀や堀切と思しき遺構が2か所。
トラロープを伝って登り詰めると本郭跡。灌木と草藪に覆われて展望は得られない。
藪の中に下の段郭に通じると思われるような踏み跡があるが、危険を感じてそれ以上進むのはためらわれた。
東郭まで戻り路傍の石仏を眺めながら法楽寺跡への道をたどる。 本郭付近から掘り下げた竪堀(あるいは天然の沢か)から続く道筋の左手に、 石積みと段郭様の平場が数段あるが、城の遺構かどうかは不明。 植林のための削平地とも思えるが、もし遺構であればこちらが大手道にあたるのか。 廃仏毀釈で廃された法楽寺跡から再び家族連れで賑わう金鑽神社に戻る。 境内の銀杏が黄金色に輝いていた。