ブックフィッシングも34号となりました。
手当たり次第にジャンルの異なる釣りの本をご紹介してきましたが、如何なもんでしょう。
読者の皆さんがどのような釣りを好まれるかも斟酌せずに気儘にやらせてもらってます。
いずれ、読書と釣り好きの関係についてアンケートか何かで明らかにしたいと埒もないことを考えております。
磯釣り、船釣り、渓流の餌、ルアー、テンカラ、フライ、鮎、鯉、鮒、等々あまたある釣りのうちどの釣り人が
読書を好むか?
まあ、たいして意味のあることではないでしょうが。
釣りをする人ならまさか「テンカラ」を知らないはずはないと思うけど、
「フライ」と「テンカラ」の違いについて、明確に説明できる人は少ないだろう。
かくいう私も「日本式のフライだよ」なんて答えて納得していたけど本書の著者にすれば、
それがとんでもない間違いのもとということになる。
「テンカラ狂想曲」木村一成
人間社 1600円 1999年7月24日
「和式のフライ=てんぷら、よってテンカラとは、テンプラとカラアゲを足して二で割ったような料理方法」などと、
とんでもない解釈をする相手に向かって、「テンカラ」のなんたるかを理解してもらうのは確かに容易なことではないだろう。
本書はその「テンカラ釣り」にはまって「人並みの生活を送れないようになった」
著者による「異端の釣り・テンカラ」の市民権獲得の涙ぐましい試みともいえる好著。
解説書ではないが「テンカラ」の魅力のすべてをユーモアをまじえて平易な語り口調で明かしてくれる。
「私がテンカラに感じる魅力は、竿、糸、毛バリの三物しかいらないことだ。」とし、
フライフィッシャーがこだわり続ける毛バリも、テンカラ師の場合はベテランになるほど使う毛バリの種類が
どんどん少なくなるという。
「本物に近い形態のフライで魚を騙すか、明らかに偽物の毛バリで騙すか。
毛バリの形にとことんこだわるのがフライで、毛バリの役目にこだわるのがテンカラといえる。
フライフィッシングは釣りをどう楽しむかに重点を置き、テンカラはいかに釣るかを重要視する。」と、
「テンカラ」と「フライ」との違いについて説明する。確かにフライの美的な繊細さに比べて
テンカラの毛バリはアバウト極まりない。
「貧乏なフライマンに出会ったことはないが、
裕福なテンカラ師にもお目にかからない」とは言い得て妙。餌でもテンカラでもお洒落な釣り師に出会ったことがない。
その辺りからして釣りのマインドもスタンスも異なっているのは事実だ。
著者は言う。
「どだい渓流釣り師は、同じ魚を狙っているのだ。魚は餌釣りだとかフライだとか、
その釣法を見抜いて食ってくるわけではない。それが疑似餌であろうと生餌であろうと
、単純に餌だと思ったら魚は食いついてくる。それを人間が水の上で、口角泡を飛ばしてジャンルの優劣を語っているとしたら、
魚の目にはアホウがいるようにしか見えないだろう。」だが、内心ではフライフィッシャーに一言二言あるのが見え見えで、
それがまた率直で面白い。
私自身はフライで釣ったことはないから比べようもないが、
初めてテンカラで山女魚を釣り上げた記憶はいまだに鮮明だ。
合わせをくれた時のショックが糸と竿を通じて瞬間的に心臓に電撃となって伝わってきた。
心臓の弱い人にはお勧めできない釣りだと今でも思っている。でも未熟な私には未だに確信の持てない釣法でもある。
フライにするかテンカラにするか、それとも鮎か?私にはそれが問題だ。
そんなこんなで今年も残り僅かで禁漁!両神山帰りのイワナ、西穂高岳帰りのアマゴ、
今年も山登りの帰りがけの駄賃程度の釣りしかできなかった。上達する訳ないよね。
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