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小栗上野介忠順

小栗忠順

歴史は常に勝者によって書き換えられる。
幕末の幕府の要職にあって日本の近代化の基礎を築いたとされる小栗上野介忠順が非業の最期を遂げた倉渕の権田を訪れた。
小栗は日米通商修好条約批准書交換の使節として渡米した折に世界を一周して海外の様々な文化に触れている。
帰国後は外国奉行・勘定奉行・陸軍奉行として幕府の要職を歴任して、それらの成果を積極的に取り入れることに努めたが、 幕府崩壊のためその多くは陽の目をみることはなかった。

道祖神

大政奉還後、失脚した上野介は権田に隠遁するが、薩長軍はこれを許さず取り調べもせずに斬首してしまう。
幕府体制を否定し新たな政治体制をアピールする必要がある新政府にとって、 彼等より先を行く開明的な小栗は邪魔な存在だったのだろう。
小栗の功績は明治政府により、さらに後世史家により殊更に無視され矮小化されたフシがある。
墓のある東善寺のご住職は、小栗の名誉回復に尽力されている方として知られている。
権田を訪れて初めて知った。倉渕は道祖神の里でもあることを。 浮世絵を思わせる夫婦和合の道祖神がほほえましい。


2008年5月31日

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