三国峠を越えて国道17号線を走るのは何年振りのことだろう。
関越高速道が開通してからは通ったことがないからウン十年振り。
大雪で列車が不通になったための三国峠越えだったがけっこう難儀な思いをしたものだ。
車でさえそうなのだから、謙信に従った将兵の労苦はいかばかりだったろうか。
雪融けを見計らって今シーズン最後の山城探訪ということで荒戸城址を訪れた。
天正6(1578)年、上杉謙信が春日山城内で死去した後、
謙信の二人の養子、景勝と北条氏出身の三郎景虎とが家督相続を争った「御館の乱」の際に、
景勝が景虎援軍の北条勢の侵攻を阻止するために築いた城だ。
大手口から若葉の美しいブナ林の中を落ち葉を踏みしめながら10分ほども登ると、
突然前方に幾段にも折り重なるように塁壁が現れた。思わず歓声を上げてしまった。
そして深い雪に守られ続けてきたために良好な状態で残されている
土塁や虎口、空堀で固められた郭、険しい切岸や竪堀など山城の遺構を
行きつ戻りつ楽しんだ。
十倍の五千人の兵力で取り囲んだ北条勢によって城はすぐに落城寸前にまで追い込まれたため、
城兵は夜陰に紛れて坂戸城まで撤退したという。
坂戸城は景勝生誕の城であり景勝側の重要拠点だが、
ここを攻めあぐねた北条勢は景虎救援を果たすことなく、
三国峠が再び雪で閉ざされる前に撤退してしまう。
本郭の虎口の土塁上にアカモノの花が群れ、ブナ林の中にはイワウチワがひっそりと咲いていた。