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武蔵・雉ヶ岡城跡 雉岡城水濠 謎の騎馬武者

今にも降り出しそうな曇天に、遠出は諦めて埼玉県の城址を目指す。 景勝も攻め寄せたという雉ヶ岡城跡を訪れた。城域の大半は学校建設によって破壊されたが、 残された部分から往時の姿を想像することができる。 土塁の隅に鎌倉時代の騎馬武者の石像が猛々しく建っている。 いったい誰の像なのだろう。碑文は何も無い。

2009年10月25日


雉岡城跡 (所在地:児玉郡児玉町大字八幡山) 現地説明看板
雉岡城縄張り図

雉岡城跡は、別名八幡山城跡とも呼ばれ、戦国時代に山内上杉氏の居城として築かれたが、 地形が狭いので、山内上杉氏は上州平井城に移り、当城には家臣の夏目豊後守定基をおいて守備させた。 永禄年間には北条氏那によって攻略され鉢形北条の属城となったが、 天正18年(1590)に豊臣方小田原攻めの際、前田利家によって攻囲され落城した。その後天正18年6月徳川氏の関東入国後、 松平家清が一万石の格式を受けて領主となり居城としたが、慶長6年(1601)三河国吉田城に転封されるや廃城となった。
現在、二の郭は児玉中学校、三の郭は県立児玉高等学校の敷地となっており、本郭の一部は公園として残されている。 本郭の一部は公園として残されている。本郭は他の郭より一段と高く、 中央に幅10メートルをこえる空堀があり、南側は断崖をなしている。

 昭和58年3月 埼玉県

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