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小平漁協のフォト日誌

武蔵・鉢形城址

断崖上の鉢形城址

山城めぐりは晩秋から早春に限る。蛇や蜂が部外者の侵入を厳しく咎め、生い茂った夏草が遺構を覆い尽くしてしまう。 それでも運動不足解消ということで散歩代わりに歩ける関東近辺の戦国期の城址を物色する。 本格的な山城はともかくとして、史跡公園として整備された平山城であれば問題はないだろうと、 かねて訪れてみたいと思っていた鉢形城址を訪れることにした。







馬出

濁流渦巻く荒川の断崖絶壁上に構築された鉢形城は予想外に広大で、 歴史館のある外曲輪から深沢川を渡り、二の曲輪、三の曲輪、諏訪曲輪を歩き回ったところでもう汗ダクダク。 三の曲輪に再現された四阿で暫し休憩。唐突に設置されている水道の蛇口が嬉しい。
三の曲輪近辺では石垣や池、四柱門、虎口や土塁、木橋、 馬出等も復元されているが、 何故かこざっぱりとしていて妙に不釣合いな気がしてならない。 曲輪を画す深い堀は見事だが、草薮に埋め尽くされていて障子堀の様子が分からないのが残念。




二の丸の堀

本丸跡には車で移動。こちらの方は復元工事はまだなされていないようで、城址を示す石碑がツクネンと佇んでいるのみ。 本丸から御殿曲輪にかけては復元工事はなされていないようで、荒川を見下ろす土塁は自然のままに放置されている。 史跡公園として中途半端に整備された三の曲輪方面よりも想像力をかきたててくれる。
荒川から振り返って眺める断崖絶壁上の鉢形城は、信玄や謙信の両雄の攻撃にも耐え抜いたのもあらんと窺わせる名城の趣があった。
本丸の林の中のあちこちにキノコが群生しているのを発見、城址には秋の気配が忍び寄っていた。



イグチ ムラサキヤマドリタケ ナラタケモドキ

2008年9月7日

国指定史跡鉢形城跡(現地説明看板)

断崖上の鉢形城址  鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。指定面積は約24万uです。
 城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。  鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられています。
後に、この地域の豪族藤田康邦に入婿した、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
 また、鉢形城跡の周辺には、殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺えます。
 天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、 前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、激しい攻防戦を展開しました。 一ヶ月余りにおよぶ籠城の後、北条氏邦は、6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。
 開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、この地を統治しました。

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