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小平漁協のフォト日誌

釣 魚 迷<伊豆半島大灘>

> 抜き足差し足忍び足で、伊豆高原にある友人のペンションに忍び込んだのは午前2時過ぎ。玄関脇には部屋の鍵と釣り場のポイント図が置いてある。M氏が脱サラしてペンションを始めたのは8年前だが、彼のペンションに泊まるのは初めてのこと。これまで伊豆釣行の行き帰りに立ち寄ることはあったが、魚やコマセ臭いオッサンがギャルで賑わうペンションに出入りしては営業妨害になってしまうと、仲間うちでなんとなく自粛してきたからだ。もっとも、友人自らも昔からの釣りキチで、暇を見つけては釣行を重ね、獲物はお客のテーブルにも並べるという一石二鳥。
 Tさんの鼾を聞かされながら3時間程ウトウトと仮眠した後、またも忍び足でペンションを抜け出し釣り場へと向かう。車で約10分、何度も訪れたことがある大灘だ。友人が図示してくれたポイントは既に先客が陣取っていて、我々が準備している間にもソウダガツオを何本か抜きあげている。ブリッジ仕掛けにカブラを使用してのソウダ狙いだ。隣の爺さんが40センチ位のトビウオを釣り上げてウホウホ喜んでいる。周囲の釣り人も「おうおう、そっちの方が旨いぞう」と声を掛け、和気相々。だが周囲はゴミの山、臭い、汚い、足場が高いから危険、3Kそろった釣り場だ。精神を集中したのは最初の一投だけ、数回投げるうちにすっかり飽きてしまった。黙々と竿を振り続けるTさんを残して、車の中で惰眠を貪る。
そのうち仕事を終えたM氏も駆け付けてきたので、気を取り直して再び投入開始。ひとしきりバタバタと竿が曲がりカタの良いヒラソウダが上がる。私にもようやく1尾。「一尾釣ればもういいや!」全く欲のない自分が不思議だ。M氏は周囲の釣り人とはすっかり顔馴染みらしく、「はい、上げて〜」「来たよ〜」とか、その場をしっかり仕切っている。早々と引き上げていく釣り人も彼に声を掛けて帰っていく。
 「もはや立派な地元民だね、マスター」
 いったんペンションに戻って昼食の後、夕方まで休憩するというTさんを残し、今度はひとりで渓流を目指す。カゴ釣りはもう飽き飽きだし、さりとてこの時期フカセ釣りができる場所などありそうもない。せめて伊豆の渓流を眺めるだけでもと、狩野川水系の徳永川をウオッチング。でもやっぱり眺めるだけでは物足りないと、いつのまにかテンカラ竿を手に流れに降り立ってしまう。
「そうそう、この緊張感、この感覚だ」
 今朝から何かしら鬱積していた気分がス〜ッと抜けて行く。
「もしかしたら海釣りにはもう戻れないのかな」
そんな予感がする。「いやいや、クロダイだっているし、メジナだっている」と打ち消しはするが、海釣りか山釣りかに迷い続け、 このところ山に軍配が上がりそうな気配なのだ。「釣魚迷」というのは中国では「釣りキチ」のことだが、私は釣る魚に迷っている。 これを贅沢と言わずして何と言うのか。結局、渓流からは何も飛び出してはこなかったが、爽快な気分に満たされた。
 夕食には今朝方釣り上げたばかりのカツオのタタキが他の客のテーブルにも供され、「あちらのお客さんが・・・」などと紹介され、 ギャルがニッコリ会釈をよこす。いつ覚えたのかさすがは商売、ちゃんと表面を炙ってあって、 殊の外旨い!壁には伊豆に来てから習い始めたというカラー魚拓の数々の作品、コダイやカイズ、ハナイカなど、 美しく額装されて掲げられている。昨年釣ったという3キロクラスのメジナのカラー魚拓もあって、 これだけは何故か釣り人M氏の署名入りで、「作品」というよりは「これは俺が釣ったんやで〜」という自己主張が垣間見られて大いに愉快。地元の利もあるけど、釣れてる魚を釣れてる時に無理せずに釣って味わう、そんなMがうらやましい一時だった。
 翌朝は5時起きで、数少ないフカセ釣りの出来るポイントだという汐吹崎に向かう。3キロをモノにした場所、しかしここは既に満員大盛況、駐車スペースさえない。バケツのコマセもそろそろ異臭を発しはじめている。いまさら大灘でカゴを振り回す気にもなれず、帰りがてらに湯河原に寄ることに。 サナギ餌でクロダイも狙えるポイントだが、今回もジャミに泣かされる。波がなければダンゴ釣りこそ相応しい釣り場かもしれない。
 それでも水面を真っ黒に波立てて群がる雑魚の陰から、手の平大のメジナを数尾引っ張り出して、なんとなく満足。

1992年9月5日・6日 伊豆半島大灘〜湯河原  

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