私が少年時代を過ごしたのは越中の富山市、それも海岸寄りの岩瀬というところです。侵食の激しい
岩瀬浜
の海岸から競輪場の裏に引き込んだ運河にはソ連から輸入した材木が浮かんでいて、
その上を飛び歩きながらハゼを釣ったり、シジミを獲ったりしたものです。その運河で遊ぶことは禁じられていたし、
何よりも海パンなどというハイカラなもののなかった時代ですから、
バンドと手拭いを組合せた即席ふんどしスタイルでこっそりと遊んでいました。
これが私の初めての釣りファッションというわけです。
しかし水が赤茶けているので手拭はすぐに染まってしまい、
3〜4回も行くとさすがにバレてしまいます。そこでなけなしの小遣いをはたいて黒の三角ふんどしを買って締めましたが、いまいちキリッとせず、泳いでいるうちに解けてしまったり、逆に結び目が解けなくて往生したものです。ですから年長者が褐色の肌にキリリと締めた赤ふんに秘かに憧れたりしていました。その赤ふん姿で富山湾沖に浮か ぶソ連船まで泳ぎついてお菓子をもらってきたなどという武勇伝を何度も聞かされたものです。
バラけた材木を繋いで筏を作ってトタン板を敷き、その上で焚火をしながらハゼを釣り上げ、それを焼いて食べ、飽きれば水に潜ってシジミ採り。しかしそんな自由な生活も中学入学で終わりでした。富山県は七三体制などといわれ、七割は実業高校、三割が普通課で進学と厳しく選別される、知る人ぞ知る教育県?好むと好まざるとに関わらず受験戦争に追い立てられていったのです。
そんなわけで、富山での釣りはほとんど知らないのです。他に釣ったことがあるといえば、アジ、サヨリくらいかな。竹ヤブから伐り出してきた竹竿と簡単なウキ仕掛けでいずれもバケツ単位で釣れました。これはもう釣りではなく漁ですね。これだけ獲れると却って釣りには興味が湧かないもので、再び竿を握ったの は新潟で就職して落ち着いてからです。しかし本格的に狂いだしたのは東京に転勤して来てからですので皮肉なものです。
そういえば、富山は「越中ふんどし」のふるさとだったんですね。
何年か前、同期の仲間が会社を辞め独立したとき「越中ふんどし」に寄せ書きをしてプレゼントしました。
「褌を締め直して頑張れ」ということですね。
「越中ふんどし」はデパ−トではクラシックパンツという名で売られています。