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髻山(もとどりやま)城址(長野市西条)


髻山城址

 今日はポリタン族になって今にも雨が降り出しそうな北国街道を名水を求めて北上する。 夜半には雪に変わりそうな雲行きに北信五岳は雲の中。 この道を謙信はどんな思いを抱いて川中島から引き上げて行ったのだろうかと、ふと思う。 で、帰りがけの駄賃ということで髻山に寄り道。戦国時代に上杉方の山城が在った山だ。
林檎畑の中の道を抜け杉林の山道を15分程も登ると空堀や郭の跡らしき地形が現われ山城の趣がそこかしこに。 石積みの虎口から主郭に入る。そこが山頂。周囲は盛り土がなされて土塁となっている。 30m×20mほどの本郭の中に石造りの祠と四阿屋、そして「天測点」と一等三角点の標識が建っている。 昭和45年に長野市観光課によって建てられた案内看板が朽ちかけていた。
髻山城址(標高774m)

天測点 一等三角点の小さな標識の隣に、一等三角点を圧倒するような立派な石柱に「天測点」との表示があった。 「天測点」とは初めて聞く名だが、星を観測して緯度・経度を決めるための 天文測量を行う測量標のことを言うのだそうな。 三角点による測地経緯度の誤差を修正するために天文測量を実施したということで、 全国で48地点あって、長野県にはこの1地点のみとか。珍しい場所に出会ったものだ。

--現地説明看板--

ここ髻山城址は戦国時代数次の川中島合戦において、 葛山・大峰山・旭山・横山・飯山の諸城と共に宿敵武田信玄の野望を粉砕するため 越後の勇将上杉謙信の重要な砦であった。
当髻山城は、本陣横山城と飯山城の中間に位置しその眺望は大変すぐれ、 東南には妻女山・犀川・千曲川・川中島平等敵味方の動静を見渡せ、 西北には北信五岳から越後の空を見渡すことができる。眼下には自軍の動脈である北国街道を見守った。
弘治3年(1557年)武田軍の髻山城攻撃のさいの猛将長尾政景の大奮戦、 また永禄4年(1561年)川中島大決戦後の撤兵収束の見事さを後世に残した名将宇佐美定行の采配ぶり 打上げのろし等々戦史を彩った幾コマかがこの城に残されている。
「宇佐美沢」(髻山入口)、「馬かくし」(城址北川の空堀)、 「ぬけ穴」城址中央の穴(場外との連絡用)等によって追想することができる。

2006.12.17

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