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小平漁協のフォト日誌

蓼科山・2530m

蓼科山

 入笠山では物足りずに車山を目指すことにした。八島ヶ原湿原も楽しめそうだし一応車山は百名山。ところが白樺湖まで来たとき目的地が変わった。うっすらと雲間から蓼科山が姿を見せたからだ。雨が降ったら登頂は諦めればよい。軽い気持ちで決定。
 次々と到着する車のドアの開け閉めの音に眼を覚ましたのは夜中の2時。女神茶屋の登山口駐車場はいつのまにか登山客とおぼしき車でいっぱい。さすが百名山、多少の悪天候なんのそので押し寄せる登山客。かく言う私たちも同類ではある。

ヤマイグチ  再び眼を覚ました頃には隣で4人組の若者たちが即席ラーメンで朝食を済ませて支度の最中。聞けば所沢から夜半について一睡もせずに蓼科山に登るのだとか。他の登山客も曇り空を気にする風もなく三々五々登山口に向かい初めている。

 登山口から暫くはダケカンバの混じる針葉樹林の中をゆく笹藪の平坦な道。霧が樹林にからんで幻想的な雰囲気を醸し出している。るんるん気分で高原を行く!ってのは最初の一時間だけ。その後は急登につぐ急登、しかもほとんど直登。ほとんど衝動的に決めたために地図を持ってこなかった。登山口の地図の往復4時間半の表示、それが唯一の手がかり。雨が降ってきたら引き返せばいいさ・・・・
蓼科山  後ろからきた女性二人組が恐るべき速さで追い越していった。登山道の脇にはヤマイグチ、ベニテング、タマゴテングなどのキノコがあって眼を楽しませてくれる。縞枯れ地帯を過ぎてしばらくすると岩塊が折り重なる頂上付近。先ほどの二人組がもう引き返してきた。今日中にもう一座登るつもりなのだろうか?我々夫婦はいつも通りの超スローペース。黄色いペンキの矢印と鎖に導かれてようやく山頂標識。4人組の若者たちは既に下山した後のようだ。

 山頂は霧に包まれて、時折岩石がゴロゴロしたすり鉢状の全貌を見せる。火口跡だったことを窺わせる中心部には蓼科神社のお社、その向こうにはなにやらお墓のような石碑が見える。霧の合間にお約束の記念写真を撮影。その間にも後続の登山客が次々と到着。満員大盛況に押し出されて下山開始。
 とりあえずは2〜30メートル下にある山頂ヒュッテに立ち寄ろうと岩の矢印を頼りに歩き始める。辺りは霧が立ちこめていつの間にかルートを外れたようだ。右へ右へと進めば登山道かヒュッテにたどりつくはずが一向に行き着かない。そのうちに山頂から見えていた石碑の影が前方に見えてきた。????右に進んでいたはずがいつの間にか左に折れてしまったらしい。かみさんはしきりに「ホワイトアウトだァ〜!ホワイトアウトだァ〜」と騒いでいる。そのうちにぼんやりと鳥居とお社が霧の中に浮かんできた。けっこう不気味ではあったが、これで位置が判断できた。火口跡の中をいつのまにか彷徨っていたのだ。

 霧が晴れるのを待って再び下山開始。駐車場に戻った頃、待っていたかのように漸く雨が降り始めた。若者4人組の車はそのままで、まだ戻ってきていない。もしかしたら我々と同じように霧に迷ったか、それとも別ルートを下山中なのか、多少の気がかりを覚えながら帰途につく。雨の中を暫く車を走らせていると向こうから見覚えのある4人組が歩いてきた。天祥寺原〜竜源橋コースを降ってきたのだろう。クラクションを鳴らして手を挙げると、手を振っている若者の姿がバックミラーに映った。

 地図・コンパス不携帯、無計画性をハンセー(^ー^;

女神茶屋登山口 ---- 蓼科山山頂 ---- 女神茶屋登山口 
6:10 ----------- 9:40 10:20 ------------ 13:20
2003.7.20

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