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小平漁協のフォト日誌

青春時代の山旅

 山に憧れを抱き始めたのは、さていつ頃からだったろうか。
 長野県の松本市に生まれ、北アルプスや美ヶ原の山々を眺めながら育ったからか、 それとも子どもの頃の局地探検・登頂ブームに影響されたのか、さだかではない。上高地への線路上で遊んでいて注意された登山客から絵はがきをもらったことを何故か鮮明に覚えている。

 小学校5年の夏、富山に引っ越した。
朝焼け夕焼けの立山連峰が美しかった。 あの山の向こうに松本がある、いつか越えて見たいと思った。

 中学生のころ仲間を誘って唐松岳を目指した。 初めての山登りだった。歩行ペースもなにも考えずに若さにまかせて競うように歩いた。 計画性も何もない登山で途中で日が暮れて尾根筋でビバーク、すっかり意気消沈、おまけに風邪までひいて翌朝下山。 渓流のたもとに温泉が湧いていたのがいまでも恨めしい。

 高校生の頃、仲間と語らって一学期の終業式をサボって雲ノ平を目指した。有峰湖の折立峠を経、薬師平でキャンプ。 雷鳥にも出逢えた。しかし夜半に天候は悪化、テントに雨が浸水して全員ずぶ濡れ、山小屋の土間に避難させてもらう。 このままだと増水で進むも退くも困難になると脅されて夜明けとともに下山。
 下界にもどったら学校からの呼び出しが待っていた。けれど登山の様子を尋ねられただけで赦免。 担任の先生が登山部の顧問だということを初めて知った。

 翌年夏、再び雲ノ平を目指し、今回は無事に到達。 水晶岳、祖父岳を間近に眺め、いつかは頂を極めたいものと密かに決意した。


飯豊山 1969年7月 

 大学時代、後輩と共に飯豊連峰の縦走を計画した。日出谷から大日岳を登り詰め、飯豊山から北俣岳への縦走。 しかし思いの外アプローチは長く、気ままな学生生活の不摂生が祟って大日岳あたりでもうヨレヨレ、 飯豊山から北俣岳に続く尾根道に踏み出す気力も失せて撤退。 まだまだ体力を余した後輩の恨めしい顔が忘れられない。無理矢理誘ったのは私だった。


 奥穂高岳 1971年7月 

  あれこれ夢中になることがあって1年間余計に大学に居た。同じく留年した友人と奥穂高岳に登った。 上高地から入り涸沢の雪渓でキャンプ、奥穂高岳に登頂、なにやら叫んだ後、 飛騨側の雪渓を下りるというシンプルな山登りだった。

 それから30年。再び山歩きにはまってしまった(^−^;

       
2000.9.10