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武蔵忍城址

戦国山城 丸墓山

豊臣秀吉の関東攻めで唯一落城しなかった城・忍城。
秀吉が北条氏の小田原城を包囲する一方で、別働隊の軍勢は北条方の諸城を次々と落としていった。 成田氏の忍城には石田三成を総大将とする二万余の軍勢が押し寄せた。
城主の氏長は精鋭部隊とともに小田原城に入っており、 城を守るのは老兵と城下からかき集められた農民や町人3千人足らずだった。 しかしこの城は湿地を活かして浮島を繋ぐように築城された堅城で、 城代長親と甲斐姫に率いられた篭城軍の士気は高かった。
何度も攻め懸けては撃退された三成は、 石田堤と呼ばれる28キロにも及ぶ堤防を僅か一週間で築くが、 水が貯まったところで堤防が決壊したため、濁流が三成軍を押し流し、多数の死者を出した。 その後も三成軍の猛攻は続き、城門が破られそうになると甲斐姫自ら兵を率いて討って出、 そのたびに撃退したという。
こうして寄手は城内に入ることすら出来ないうちに小田原城の方が先に降伏・開城してしまう。 それと知らぬ忍城はその後も篭城を続けるが、小田原で降伏した城主・氏長の命によって漸く矛を収めて開城した。

忍城は和田竜の小説「のぼうの城」で一躍有名になった観があるが、 それ以前にも風野真知雄著の「水の城いまだ落城せず」があり、攻防戦の模様が活写されている。 最近では甲斐姫を主人公にした近衛龍春による「忍城の姫武者・上」が出版されている。 甲斐姫はその後、秀吉の側室となり、 秀頼の子を生んだともいわれる数奇な人生をおくることになるようで下巻の出版が待たれる。

古城散歩 石田堤 古城散歩 水城公園 古城散歩 忍城御三階櫓

甲斐姫についてはそれはそれで興味深いものがあるが、今回は「甲斐姫を訪ねる旅」ではないので、 戦下手との評価を確実なものしてしまった三成の水攻めの痕跡を訪ねてみた。
三成が本陣とした丸墓山の上に立って忍城を探してみたが、 濁流ならぬ市街化の波に飲まれて見つけることはできなかった。 三成はしかし自分の足下の丘が日本最大の円墳であることを知っていたのだろうか? 三成に先立つこと16年前、謙信もこの古墳上に立って忍城を攻めたという。 当時はどのような風景が広がっていたのだろう。 稲荷山古墳や二子山古墳などの前方後円墳に軍勢の旗や幟が林立する様を想像してみた。

2009年6月20日

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