長野業政の12人の娘の一人を室に迎え箕輪城防御ウネットワークの一角を担っていた木部範虎の木部城を訪れた。
城というよりは土塁を僅かに残す居館跡の趣。戦時は山名城を詰城としたという。
現在は曹洞宗心洞寺として木部氏の家臣の末裔が護り続けているようで、
範虎夫妻の廟所に新しい生花が供えられていた。
当寺の開祖木部駿河守範虎公は清和源氏の直流蒲冠者源範頼の後裔にして
箕輪城主長野業政の姫を娶り長野氏の武将として活躍せしが
永禄六年二月武田信玄により箕輪城が落城。
(この戦で奥方が榛名湖に身を投じて龍になったという伝説は有名)
長野氏滅亡後、武田信玄に随身し木部五十騎を率いて各地の戦に勇名を馳す。
後、織田信長に長篠の合戦に敗れ天正十年三月十一日武田勝頼に殉じ家来諸共天目山梗ヶ原に散る。
......享年七十二歳