館林城の保存状態には少々落胆したので、気分直しにと帰途にある小泉城址を訪れた。
群馬では初めて見る水濠を巡らせた囲郭式の平城だ。本丸の周囲を土塁でさらに固めている。
謙信による白井城・小山城・騎西城攻めの先鋒として活躍した富岡氏の居城だ。
富岡氏も上杉方と北条方の勢力争いに翻弄され続けたが、
館林城が北条方に属すと北条方となり、
小田原の役では小田原城に籠城し、小田原城の開城とともに没落したとされる。
小泉城は、延徳元年(1489)富岡主税介直光が縄張りをしたことに始まり、以後富岡氏6代、約100年余の居城として栄え、
威容を整えたものである。現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられている。
城の形態は平城で、本丸、二の丸、三の丸からなり、中心部は回字形をもつ囲郭式平城の典型で、県内でも有数の城郭です。
本丸の水掘と土塁、三の丸の一部の水堀と土塁がかなり良好な形をとどめている。
本丸北東部の「櫓台跡」と西南隅の「折り」と「櫓台跡」は、
正面、北面、西南面を防護する横矢矢倉の備えを明瞭に残していて、戦国期の特徴をよく遺存している。
天正18年(1590)、小田原北条方に組みしていた富岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに破れ、廃城となった。