長野自動車道を走った折に山の稜線上に天守閣が見えた。目の錯覚かと思ったが、
後で調べたところ牛伏山に建つ一郷山城と知る。
山頂まで車で乗り入れできるようだが足慣らしということで麓の駐車場から比高差200メートル、
30分程の山歩きを楽しんだ。
山頂の西端に現れたのは三層のコンクリート造りの模擬天守閣。
山頂開発のために自動車道路を造り、天守閣建設のためにせっかくの城跡の遺構を破壊してしまった。
そういえば長野市を見下ろす大峰城跡にもコンクリート造りの模擬天守閣があった。
そこにも申し合わせたように場違いな展示コーナーがあったりして苦笑してしまった。
いったい行政は何を考えてこんな意味不明な天守閣を建てるのだろうか。
ついでながら、駐車場に設置された説明看板にも誤りを発見。
今年の6月に吉井町は高崎市と合併することでもあり、
この機会に説明看板の訂正も含めて
山頂一帯の管理を見直すべきと思う。
永享10年(1438)関東管領上杉憲実は、鎌倉公方足利持氏と争い、鎌倉を退き、平井城(藤岡市西平井)に拠った。
その頃、平井城西方の守りとして、新堀城(多比良城)と共に築城され、一郷山城は、山頂にあることから、
のろし台としての任務が主なものであったろう。
永禄6年(1563)2月、西上州侵略を図る武田信玄は、平井城(管領府)攻略の緒戦として、
一郷山城を攻めた。
防戦のため、山頂から落とした大石は、真下の見銘寺を押し潰し、火災となり、城は全焼、
将兵は全滅、婦女子は急崖に身を投げ、落城した。ついで新堀城も攻略された。
<注>平井城は永禄3年(1560)に廃城となっているから、信玄が攻めているはずがない。