磯部温泉の近くにある磯部城。先週末訪れた杉山城と比較してひとつひとつの遺構のスケールが大きい。 武田信玄が築いたものと言われているが、 文献その他の資料が無く詳しいことは不明だそうだ。 合併された町にあり、しかも城の由来が不詳ということで軽視されている訳でもなかろうが、 同じ安中市にある後閑城址の扱いとは雲泥の差だ。 遺構を示す標柱や四阿屋などは立派なものが建てられているが ほとんど朽ちかかっている。
大手口にあった公園名を刻んだ御影石の碑銘を見て疑問は氷解した。
近くにある大工場のS化学工業が創立60周年記念に城址を公園として整備したようだ。
その後はおそらく管理責任が曖昧なまま利用者もほとんどなくて荒れてしまったのだろう。
そのことは説明看板に管理者名が明記されていないことからの察せられる。
壕や土塁・腰郭など山城の遺構が良く残っているだけに残念ではある。
また掲出者不明の説明版にある縄張図よりも城域は広いように思われる。
野草園やふれあい広場がある部分は自然の地形とも大堀切とも考えられ、
東側の丘の上にある憩いの広場も郭や櫓台の跡であり、その北面は段郭が築かれているように思える。
公園入り口の縄張り図からはこの部分がすっぽりと抜け落ちており、
公園としての整備や管理方法を決める際になんらかの事情があったのではとつい推測してしまう。
武田方が対上杉の前線基地として築いた北信濃の替佐城城址に雰囲気に似ており、
この磯部城は武田方の西上州進出の拠点として重要な役割を果たした城のように思える。
<歴史>
この磯部城は、正治3年(1201年)4月の頃に、佐々木盛綱入道西倉の旧跡と伝えられているが、
城址をみれば、鎌倉初頭のものでないことは明らかで、おそらく武田信玄が永禄5年(1562年)頃築いたもので、
東500メートルにある文殊寺の砦はのろし台跡であろう。
<構造>
磯部城氏は標高250メートルの山城で完全な遺構を残している。
頂上には本丸・二の丸が西東に並び三の丸はその南側にある。
本丸と二の丸は堀切で区別され土橋で連続されている。
その堀切の余土は西側に盛られて高さ2メートルの高土居になっているので、西の郭が本丸と考えられている。