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小平漁協のフォト日誌

越後・樺沢城址

天地人

南魚沼市に入ると「天地人」ののぼり旗がそこかしこに取り付けられている。 来年から始まるNHK大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続の出生地ということで、 観光客誘致にかける熱意が伝わってくる。樺沢城址への入口は景勝生誕の碑がある龍澤寺の向かい側にあった。 龍澤寺には景勝の母・仙桃院のお花畑跡もある。

景勝生誕碑

景勝が樺沢城で生まれたというのは初めて知った。 景勝と景虎とが争った御館の乱で景虎支援に駆けつけた北条軍が景勝が生まれた樺沢城を占拠して 景勝方の本拠地坂戸城と相対したというのも不思議な因縁だ。
北条勢は樺沢城から前進できずに、結局は景虎支援に失敗することになるのだが、 樺澤城を北条勢に許したのは景勝側の作戦だったのかもしれないとふと思った。 城に籠って一旦防備に廻った軍勢が再び進撃するのは困難だったのか、 それとも北条勢には最初から景虎支援に向かう意思はなかったのだろうか。

堀底道

賑やかに林立するのぼり旗とは裏腹に城址への道は草藪に覆われており、 蛇に怯えながらかすかな踏み跡を頼りに進む。 左手にJR上越線越しに館跡の碑が見える。線路によって山城と屋敷跡が分断されている。
すぐに空堀の堀底道となって望楼に突き当たる。 望楼跡に上ると足もとから1mほどの青大将がくねりながら逃げて行った。




樺沢城本丸

蛇を見た後では踏み跡が無い大手道・西の丸方向へは進みかねて三の丸への道を選ぶ。 広い三の丸は蕨に覆われていてほとんど蕨畑の様相を呈している。そしてここにも青大将がいた。 山城歩きはやはり晩秋に限る。
二の丸との間は深い空堀で遮断されていて、二の丸には登り返す形になる。 空堀はそのまま大手道に繋がる堀底道になっている。空堀が多用されている城址だ。 右手に景勝の胞衣を埋めた胞衣塚があるという郭が見えるが、そちらへの道も踏み跡がない。 二の丸からは密生した蕨を掻き分けながら空堀・帯曲輪を経て本丸跡へ上る。

本丸跡からは御館の乱で景勝方の中核軍団である上田衆を支えた上田庄を一望。 現在は魚沼コシヒカリの青々とした水田がのどかに広がっている。 残念ながら巻機山・中ノ岳・八海山など越後の山々は雲に霞んでいた。

2008年8月14日



新潟県文化財樺沢城跡碑

吉野朝時代新田義貞臣 田中右ェ門尉居城 鞠子城という。上杉時代 樺沢城という。
はじめは坂戸城主長尾氏の番城であったが上杉謙信越後平定以後 春日山城の番城となり 上杉軍団関東東征旅の宿城となった。
城代は栗林・黒金・宮嶋・登坂氏が当たった。この地区 段丘 館跡 武家屋敷にて東南上下桜町と称し 往古の遺跡を残している。
城跡本丸は高さ330米、数ヶの段層 帯曲輪 空濠等 その築城法県下に比類がない。
慶長3年上杉景勝会津移封直後廃城となった。

城史撰文 高橋水山  企画建設 樺沢城跡保存会

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