松本城を大手門側から北アルプスを取り込んで撮影すると、城の背景に緑の丘陵が写る。
そこが子供の頃の遊び場でもあった城山だ。それが犬甘城(いぬかいじょう)という名前だと知ったのは最近のことだ。
数十年振りに訪れた城山は公園として整備され昔の面影は全くなかった。
記憶にある城址よりこじんまりとした印象だが、本郭周辺の堀切や竪堀、腰郭などは見ごたえがある。
よく度胸試しに上り下りした西側の急峻な崖は深い草木に覆われていた。
「松本城への抜け穴」と噂されていた井戸跡はついに発見できなかった。
城址は尾根筋というより崖の端に連郭式に築かれていて、西側は急峻な崖で堅固に守られている。
一方、東側はなだらかな斜面が広がっていて、
この方面からだと本郭から六郭まで同時に側面攻撃を受けてしまうことになり、連郭式のメリットが活かせそうもない。
武田勢の侵攻に当たっては城主の早とちりもあったろうがあっけなく落城している。
城址についての説明看板は何処にも見当たらなかったが、
江戸時代の松本藩主がこの城址に桜や楓を植えて、一般庶民の遊楽の場所として開放したことを記念する石碑があった。
松本城を眼下に見据える城山を花見に開放するなんて、江戸時代はのどかな時代だったようだ。
犬甘城は古くから松本一帯を支配していた豪族・犬甘氏が築いたとされる。
犬甘氏は小笠原氏が信濃国守護職として松本に入るとその配下となった。
以後、忠実な家臣として小笠原氏に従い続け、
武田信玄の侵攻に対しては主君の小笠原長時が早々と逃亡し、
周囲が次々と武田の軍門に降るなか最後まで踏みとどまって抵抗したとされる。
小笠原氏は武田に追われて謙信の庇護を求め、
江戸時代には豊前小倉の藩主として命脈を保っている。
犬甘氏はその筆頭家老として代々続いたという。