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松井田城址

宮坂先生

追手門跡から城内に入ると、頭上からチリンチリンと熊除けの鈴の音が聞こえてきた。 降りてくるでもなく、遠ざかる風でもない。 本丸に登ったところで音が止んだが、音の主は分かった。草むらに座り込んで何やら作業中。
尋ねると各地の山城を調査しているとのことで、巻尺が切れてしまったので直しているところだとか。 信州の山城は1800ほど調査したそうで、「図解・山城探訪」という本を著している宮坂武男さんだと知る。 上州の城にも調査の範囲を広げ、この松井田城の調査は2日目になるとか。 利用されるだけ利用されて、最後は秀吉によって切腹させられた城主・大道寺政繁の話を聞かせてくれた。
そして再びチリンチリンと腰の鈴を鳴らしながら巻き尺を伸ばして郭の長さを図り始める宮坂さんだった。
「現代版伊能忠孝みたいね」とはカミさんの弁。

2008年4月12日



松井田城跡(現地説明看板)

この城跡は、松井田町大字新堀、高梨子および新井に位置し碓氷川と九十九川にはさまれ、 標高およそ250〜410mの尾根上に築城された戦国期の大きな山城です。
城跡の主要部は、およそ東西に1Km、南北に1.5Kmにおよび、ところどころを堀切で断ち、その間に10か所ほどの郭が並んでいます。
この城は、数度の改修がなされ、北条支配の天正年間には大道寺駿河守政繁が城主となり大改修拡張し、 現遺構のように完成し北条氏(小田原)の築城法を示す典型的な山城となりました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めで、前田利家、上杉景勝、真田昌幸らに攻められて落城しました。
落城後も、城としての遺構をほぼ完全にのこしている県内はもちろん全国的にみてもきわめて重要な城跡です。

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