天文17年(1458)7月、小笠原長時と武田長時との塩尻峠の戦いは、実際には勝弦峠で行われたということで、行ってきました。でもこれがやや拍子抜け。当時を偲ぶよすがも無くて古びた説明看板が道路脇に立てられているだけ。
で、帰りがけの駄賃代わりに小野の上田城を攻める。諏訪から勝弦峠を越える道が伊那街道と合流する小野にある小高い丘に築かれた小城だ。城主は不明とされるが近くにある信濃二之宮小野神社と矢彦神社の社家と考えられているとか。戦いに敗れた小笠原軍はこの城を経由して松本に逃れていったのかもと夢想した。
決して堅固とは言えないが何段もの郭が削平され、帯郭に取り囲まれていて、街道筋を監視し威圧し、狼煙で繋ぐ拠点としは十分な山城と言える。