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小岩嶽城と古厩氏の謎

小岩嶽城址

 武田氏による安曇野侵攻の際、最大の激戦地となった小岩嶽城。城主の盛兼以下500余人が討ち死にしたとされる。 ところがその後、盛兼の嫡男盛勝親子は武田氏に臣従して、 盛勝の嫡男盛時は信玄に忠誠を誓う起請文を提出して、川中島で上杉勢と戦っている。 討ち死にした500余人の中には入っていなかったのだ。
そして武田氏の滅亡後、松本に復帰した小笠原貞慶によって謀反を疑われて古厩盛勝は謀殺されて城は焼き払われ、逃亡した嫡男の盛隆は討ち取られてしまう。 ところが次男の盛親は貞慶の跡を継いだ貞政に臣従し、その子孫は小笠原の家臣として六代まで続いているのだ。
さらに不可思議なのは、盛勝は翌年に起きた貞次(貞慶の兄)の謀反に加担したとして誅殺されている。史料的には2回謀反を疑われて2度殺されたことになる。 これも大きな謎だ。
古厩氏は父と兄が謀反を疑われて誅殺されているのにも関わらず弟は許されことになる。 常識的には一族郎党が連座して誅されても不思議ではない。一族滅亡の危機に二度も見舞われながらも生き残った古厩氏にどんな秘密があるのか?
小岩嶽城で戦ったのは本当に古厩氏だったのか?古厩氏とは別に小岩嶽氏がいたという説もある。 しばらくはこの謎に挑んでみたい。

小岩嶽城址  小岩嶽城址 小岩嶽城址

2023年2月20日

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