武田信玄生誕の地とされる要害山城の麓の積翠寺。訪れる観光客もいないのか、寺は荒れ放題、寺の裏手にある産湯の井戸も粗雑に扱われているようだ。
寺の由緒看板も赤さびてほとんど読めないが、写真を加工してなんとか判読してみた。信玄公のお膝元で他の観光地と比較して、この扱いはなんとしたことか?
不動堂の信玄公もちょっと立腹気味。
当寺はは臨済宗妙心寺末にして行基菩薩の開創による鎌倉時代夢窓国師の弟子竺峯(じくほう)和尚中興開山なり
大永元年(1521年)
福島兵庫乱入の節(飯田河原の合戦)信虎夫人当寺に留まり期に臨み一男子を産むこれ即ち信玄なり
境内に産湯の天神産湯の井戸あり 堂西に磐石あり高さ八九尺泉これに激して瀑となるよりて石水寺の寺名になり村名になると甲陽軍艦に伝う
積翠寺名園は夢窓国師の築庭なり 寺宝に信玄像及び天文15年後奈良天皇の勅使として下向せられし三條四辻二
卿と拙寺にて催せられし信玄公の和漢聯句一連並びに良純親王より仰岩和尚に贈られし書簡等々現存す。