2018年9月27日
今年も穂高神社のお船祭が盛大に催行された。クライマックスではお船とお船を激しくぶつけ合う。 これをもって若宮に祀られている阿曇比羅夫の鎮魂の祭りだという話が敷衍している。 西暦663年に白村江の海戦で唐と新羅の連合軍に敗れた日本水軍の将軍・阿曇比羅夫の霊を鎮めるために命日の9月27日に海戦の模様を再現する祭りとして、 昔から連綿と続けられてきたのだと。
安曇野は古代に海人である安曇族が入植して開拓したとされ、この祭りも海人族たる安曇族が安曇野に進出してきた証拠の一つであるという学者さえいる。 また、阿曇比羅夫は安曇野から出掛けて行って戦ったなどという人もいたりして、史実とロマンがない交ぜになっている。
阿曇比羅夫が白村江で戦死したかどうかは不明だし、そもそも軍人であることさえ疑わしい。 お船自体も諏訪から伝わってきたものとされ、江戸時代には車輪に乗せて曳くのではなく担ぐ形式だった。 お船祭が鎮魂の祭りだと敷衍され始めたのはせいぜい3〜40年前からのことのようで、それまでは子孫繁栄、 五穀豊穣を祈願する祭りで、お船の女腹と男腹をぶつけあう所作はそれを意味すると考えられてきた。
ともあれ、鎮魂の祭りは気持ちさえあれば何時からでも始められるから目くじらを立てるほどのことではないが、 歴史家や評論家が検証することなく自説に援用しているのには苦笑を禁じ得ない。 しかしまあ、海戦の模様を再現していると思えば思えないこともなく、男女の行為を意味すると考えるよりはロマンに溢れていると言える。
これを言い出した知恵者に感服する。