「歩いて楽しいまちづくりプロジェクト」のメンバーで潮沢の岩洲公園のルートハンティングをしました。
所々に散在する廃屋や打ち捨てられた畑や竹林を眺めながら、およそ50年ぶりに訪れるという地元の方の思い出をお聞きしながらの踏査行。
戦国時代、潮沢川を境に北は仁科系の日岐丸山氏、南は東信から進出してきた海野氏系の会田氏がそれぞれ尾根上に山城を築いて対峙していた。
岩洲公園の尾根上にも高松薬師城や猿ヶ城が築かれて南方の会田氏に備えていた。また、尾根筋は善光寺道でもあり山城は街道筋を見張る役割もあった。
それぞれの城に拠って潮沢川を境に対峙しながらも、住民同志は同じ潮神明宮の氏子だったということもあって至って友好的だったようで、
これといった戦乱は無かったらしい。
また、潮沢の奥には平家の落人部落もあったり、紅葉鬼神の伝説も伝わっていて、興味が尽きないエリアだ。
それにしても「公園」という名称はいつどのような経緯で付けられたのだろう。
「公園」と呼ぶことで「里山」の持つ魅力が大きく減衰してしまうと思うのは自分だけだろうか?
ともあれ、魅力いっぱいの里山歩きでした。