松本近辺の山城は防獣柵の扉を開けてから入る。山城に生息するシカやイノシシなどから農作物を守るためだ。
地方によっては鹿垣といって野生動物を防ぐために石積みを構築しており、山城の遺構と見誤ることもあるそうだ。
あるいは段々畑の土留めだったりして、山城ファンを勘違いさせ糠よろこびさせるそうな構築物は里山にはけっこうあったりする。
今回は比較的積雪が少ないと思われる廣澤寺側の搦め手から攻める。入るとすぐ虎口と思われる石積が出迎えて喜ばせてくれる。
地元の方によって整備された道を標識に従って登る。
右手に見える溝は本郭裏の大堀切から落ちてくる竪堀かもしれない、二重堀あるいは畝堀状の地形もあったりして期待感が膨らむ。
竪堀から離れてジグザグ道を登って尾根筋に出ると、今度は規模は小さいが何段もの段郭があって、城の枢要部に近付いていることを知る。
そして本郭をはじめとする城の中心部。背後の土塁や周囲の切岸と野面積みの見事さ、本郭を取り巻く副郭、大嵩崎集落方面への斜面に刻まれた段郭といい、「これぞ小笠原氏の城!」感満載の山城ではあった。
雪が消えたら大手口から攻めてみよう。そして林大城も再攻城だ。
林小城跡
搦手の虎口
二重竪堀
段郭 副郭
本郭の土塁 本郭周りの石積
2014年1月14日
長野県史跡小笠原氏城跡 林小城跡
所 在 地 松本市大字里山辺5259番地他
所 有 者 小岩井宗門ほか
指定年月日 昭和45年10月22日
指定内容
林小城は、里山辺林集落東側の尾根上に位置し、東側に大嵩崎集落をはさんで、林大城と相対している。北側の山裾を流れる薄川は防備の役目を果たしており、信濃国守護小笠原氏の本城にふさわしい構えである。
林城の築城は、「小笠原氏系図」によれば小笠原清宗の時代に築かれ、井川城から移ったものといわれている。林小城は古城ともいわれるので、大城より古いと考えられてきたが、最近の研究では、小城の中心部の縄張りが複雑であることから、大城よりも後に築城されたと推測されている。小城の主郭を取り巻く石垣や縄張などは、山家城や桐原城との共通性が高い。天文19年(1550)7月15日に武田氏の攻撃を受けて大城とともに自落した。
松本の中世における深い歴史を秘めたこれらの遺構は、貴重な文化財として大切にしたい。
平成20年3月 松本市教育委員会