安曇野風来亭 道楽日誌 山歩き日誌 釣り日誌 戦国山城 キノコ図鑑 小平漁協書籍部

小平漁協のフォト日誌

鴨ケ嶽城址(中野市)

鴨ケ嶽城址

GWを過ぎた頃から山々の木々は急速に青葉を取戻してきた。 こうなると冬の間の楽しみだった山城巡りも終わりだ。 山城の遺構が木立の葉や藪草に蔽い尽くされて見えなくなってしまうからだ。
今回は村上義清とともに北信の武将として最後まで信玄に抵抗して戦った高梨氏の居館と詰城の鴨ケ嶽城跡を訪ねた。
よく整備された新緑の山道を歩く。丸太で土留めされた階段も歩幅が計算されていて心地よい歩きが楽しめる。 山上や谷あいに目をやり山城の遺構を捜し求めるが、深い緑に蔽われてそれらしい場所は見つけられない。
山城巡りをしながらいつも考えることがある。里の館から比高で2〜300mの尾根に築かれた戦国の山城。 それは強敵からひっそりと隠れるようにあったのか、 それとも木立を伐採した裸の尾根上に威風堂々とあったのか? 高梨氏の鴨ケ嶽城はそのどちらだったのか・・・・・


キンラン ギンラン 尾根筋に躍り出るとようやく山城の雰囲気が漂い始める。幾つかの段郭を経て、 大規模な堀切を登り返した所が本郭だった。どうやら搦め手側から登ったようだ。
本郭からの展望は得られないので土塁を越えて深い堀切を登り返すと尾根の先端部に出た。
まず目を引いたのが岩で囲まれた古井戸跡。こんな尾根上に水が湧き出る不思議に感嘆する。 春日山城址にも水を満々と湛えた井戸があって、サイフォン効果との説明があったが、俄かには信じがたい思いがした。
古井戸の近くに絶滅危惧種のキンランとギンランがひっそりと咲いているのを発見した。

下山後、高梨氏の館跡を訪れた。土塁と堀で囲まれ、 枯山水の庭園をもつ豪壮な館跡に、北信の豪族の栄枯盛衰の歴史に思いを馳せた。

2007.6.3


高梨氏館跡
史跡 高梨氏館跡(現地案内板)

 高梨氏館跡は、東西約130m、南北約100mの規模で四方に土塁と堀がめぐる北信地方最大の中世の方形館跡です。
 本館跡は、平安時代末期に始まる頼季流信濃源氏の有力武士団である高梨氏の築造によるものと推測されます。 高梨氏は、鎌倉時代から室町時代にかけて北信地方で勢力を拡大し、 室町時代後期までには中野地方を完全に支配下においたとみられ、 この勢力拡大の過程の中で、当地に本拠地を構えたものと考えられます。 室町時代末期、甲斐武田氏と越後上杉氏の抗争の中、 高梨氏はかねて親交の深かった上杉氏を頼り、 越後に一時退去するなどの紆余曲折を経たのち、 慶長3(1598)年に上杉氏が会津に移封されると、共に会津へ移りました。 それに伴いや肩も廃館となったと考えられます。
昭和61年から平成4年にかけて実施された公園整備のための発掘調査では、 門跡一棟、礎石建物跡5棟、掘立柱建物7棟、庭園跡等が確認されました。
中世の方形館跡内で庭園遺構が確認されたのは、県内では唯一の事例です。 また土塁の断ち割り調査では、土塁が少なくとも3段階の構築過程を経ていることが確認されました。
北信地方の武士団である高梨氏の中世の方形館跡で、庭園跡や三段階以上の土塁の構築過程等が確認されたことは、 中部地方の武士団の文化的レベルや方形館の発展過程を考えるうえで重要です。

NEXT >>