葛尾城の支城として村上義清が築き信玄の侵攻に抗してきた和合城。
先週に登った狐落城からは千曲川を挟んで斜め対岸に位置している。
坂城町の鼠から登る。「鼠」とはなんとも面白い地名だが、北国街道を寝ずに監視したところから
「寝不見」⇒「鼠」となったとか。
また、民話では千曲川をせき止めていた岩を噛み切って流された鼠が漂着した場所が「鼠」で、噛み切った場所が
「岩鼻」の断崖だという。
墓地から入山する。薄っすらと積もった雪に足を取られながら急斜面の山道を登る。
左右には石積みで何段もの削平地が築かれている。山城の遺構のようにも見えるのだが、
規模が大きいし石積みが精緻でただの土留めか、あるいは荒廃した分譲墓地か?
そんなことを考えながら狸かそれとも狐か、小動物の足跡を辿っておよそ50分で尾根筋の鞍部。
標識に従って右に進むとすぐに深さ5mほどもある堀切があって、登り返したところが四の郭で、
先端部分に本郭が築かれていた。
郭には一部石積みが施されており、本郭は土塁が巡らされている。
春のような陽気に誘われたか羽虫の群れが五月蝿い。
本郭脇に送電塔が建てられているのは興醒めだが、それさえ我慢すれば絶好の展望台だ。
足下には千曲川が流れ北国街道が走っている。
そして狐落城と葛尾城とで義清の本拠地だった坂城の町を抱くようにトライアングルを作りこの二つの幹線を扼している。
さらに遠方の荒砥城の背後には白馬三山が白雪で輝いている。
南を望めば村上義清が信玄を破って板垣信方を敗死させた上田原、その向こうには塩田平が広がっている。
次は塩田城跡を訪ねてみよう。村上義清ゆかりの城跡巡りも一段落だ。
帰途は軽アイゼンが役に立った。