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小平漁協のフォト日誌

狐落城址(坂城町)

十六夜観月堂

武田信玄を二度までも破ってその肝を寒からしめた信濃の勇将・村上義清。 一度目は天文十七年(1548)の上田原の戦い、そして2度目はその翌々年の砥石城の戦い。 信玄は重臣を失い、「当家の凶事なり」と言うほどの痛手を蒙った。 しかし、翌年五月、砥石城が真田幸隆の謀略で落城すると劣勢に陥り、 ついに本拠・葛尾城に近い狐落城が落ちるに至って、葛尾城を捨てて上杉謙信を頼って落ちていった。 これが謙信と信玄との数次にわたる川中島合戦の序章となる。

村上義清をしてその陥落が戦意を喪失させた狐落城とはどのような山城なのか、 その城名とともに興味のあるところだった。
村上氏の氏神を祭った村上大国魂神社から入山すると、すぐに歌碑が林立する十六夜観月堂がある。 村上氏の始祖となった源顕清が建立したのが基とか。芭蕉も訪れて一句詠んだとされるが、 その句が刻まれている歌碑を探すのは諦めた。観月堂からは義清の葛尾城が千曲川の対岸に望める。 先祖ゆかりの地を奪われたことがさしもの義清の戦意を早々と喪失させたのかもしれないと、ふと思った。

狐落城址 観月堂から本格的な山道になる。 「狐さえ落ちる峻険な城」名称のイメージそのままに急峻な尾根道を残雪に足を取られながら登る。 山頂付近に至るまで番所跡らしい削平地が数箇所ある以外は遺構らしきものは見当たらなかった。 つい先ほどまでその辺に居た獣が我々の気配で慌て逃げ出したかのように真新しい足跡を残していた。 山頂直下ではトラロープに縋りながらの急登。登山口から50分ほどで漸く二の郭に到達。2mほど登るとすぐに本郭。 本郭の背後は三水城址に繋がる細い尾根道となっていて、数条の堀切が施されている。
数ある山城の中で長野市の葛山城とともに激戦を伝えられる狐落城。 これほどの堅城、どのように陥落させられたのか想像するのも困難だが、 将兵ことごとく武田方に討ち取られたという悲史を残す山城だ。
本郭からは千曲川河岸に屹立する断崖絶壁の岩鼻と義清栄光の上田原の古戦場が見渡せる。 上田方面から殺到してくる武田の軍勢を村上方はどんな思いで眺めたであろうか。 今は千曲川がゆったりと流れている。

2007.1.27

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