初詣は上田市の「生島足島神社」を訪れた。およそ1時間も並んでお参りした後、
神社に奉納された武田信玄の願文と武田諸将の起請文を拝観した。
上杉謙信との戦いを前に神の力を借りて陣営の引き締めを図った戦国武将の心情を思った。
予定では別所温泉の北向観音に初詣のハシゴをするつもりだったが、またまた並ばされては敵わないので、
かねて念願の砥石城を見学することにした。信玄が信濃の武将村上義清に敗れた「砥石崩れ」の舞台だ。
さすがに戦国史に名を留める旧跡だけあって案内看板は整っていて迷うことなく登山口に到着できた。
八ヶ岳や蓼科山、美ヶ原、北アルプスの山並みを眺めながら快適な山道を10分ほども登ると、
「関東の富士見百景」なる石柱があった。「この先約124キロ」とあって、南の方角に富士山が望めるらしい。
目を凝らして探してみたが薄曇の空の中それらしい山影は見当たらない。残念!
気を取り直してさらに進むと米山城と砥石城とを繋ぐ尾根の鞍部に達した。
まずは砥石城からとようやく急坂となった山道にとりかかる。
すぐに切り株に腰を掛けて休憩している地元の人に出会う。「富士山が見える」と教えてくれた。
八ヶ岳の稜線をたどって左に目を移していくと、確かに富士山がある。手を合わせて遥拝する。
「下に富士山の石があったでしょう」問わず語りに話し始めた。先ほどの石柱のことらしい。
「あの石をこの場所に移すように市役所に掛け合っているけど埒があかない」と愚痴る。
よほどこの場所からの眺めがお気に入りのようだ。
富士山を眺めさせてもらった礼を言ってさらに登る。城郭の遺構を探しながら登るが、
山頂の郭に至るまでそれらしいものは発見出来なかった。
山頂の郭からはさらに奥に向かう道があって、本城、桝形城と続くらしい。
馬場跡とされる広い尾根を本城手前の段郭まで歩いたが、規模の大きさに驚いて引き返すことにした。
武田軍が攻めあぐねて撤退したのもうなずける。
次は難攻不落に見えた砥石城を
謀略をもって落とした真田の本城を訪れた。
こちらは麓から眺めると小さな丘陵にしかみえなかったが、
尾根筋の段郭に立ってみると予想外に急斜面で比高差もあって、
舐めて攻め寄せると痛い目に逢いそうな山城だ。真田一族の智謀を垣間見る思いがした。
2007.1.1