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塩尻市 北熊井城跡

北熊井城跡

鉢伏山からの帰途、崖温泉経由のルートをカーナビ任せでたどっていると、「熊井」の地名標識が眼に飛び込んできた。
かねてから気になっていた城跡がある地区だ。ダメモト覚悟でハンドルを切ると、 すぐに眼に飛び込んできたのが、草藪に覆われた丘陵。 空堀で区切られた郭が東西方向に几帳面なまでに一列に並んでいる様子は圧巻だ。 本郭跡には「北熊井城」の幟が翻っている。
しかし切岸はクズとアレチウリの日米を代表する侵略的有害植物が勢力争いの真っ最中。 地区の方が史跡保存のために様々な努力をされているようだが、ここでもアレチウリには手を焼いているようだ。
郭への坂虎口も草藪で覆われているので、秋頃に城攻めに再チャレンジすることにした。

北熊井城跡 安曇野市豊科に吉野館跡という史跡がある。日岐丹波守盛武の居館跡だ。現在は熊井さんが居住している。周辺には熊井姓のお宅が多く、同姓で祀っている熊野神社もある。因みに映画監督の熊井啓はこの一族。
熊井氏は武田信玄の安曇野進出に伴って熊井からこの地に移されたとされているから、日岐丹波守盛武が小笠原貞慶に服属して吉野を受領する以前からこの地に居住していたことになる。そして小笠原氏の古河移封に同行した日岐盛武には従わずにこの地に残って帰農している。
戦国末期を生き残った安曇野の武将・日岐丹波守盛武に関わりのある熊井一族の系譜も興味があるところだ。

2013年7月26日



史跡 北熊井城跡 (現地説明看板)

北熊井城跡

史跡 北熊井城
位置 塩尻市片丘9301ほか

形式 主郭は戦国時代の早い時代にでき、だんだん追加されていったが、戦国末期の一連の平山城と思われるので包括的に記す。
熊井城のような平山城は新しいという見方もあるが、主郭の周りの土塁が高く、人馬の出入りの虎口がはっきりしないなど古い様式をも備えている。厚いローム層の大地のためか土砂くずれがなく石垣は一か所もないのも特徴である。また規模の大きいことでも県下でも有数である。

1、 本城
主郭でもあり最も大きく南北は70m東西は80mもあり、東側と南北には高さ3〜10mもある土塁を設け、その東には空堀を二重に掘ってある。西側には空堀は一つであるが、現在でも高さは17mもあり、底幅も5mくらいある。頂上からは松本平が一望できるので監視哨や烽火台でもあったと思われる。発掘調査されていないので、建物の様子は不明だが、石臼の破片が出土している。
2、 その他の郭
本城の西に西一、西二、西三の郭、本城の東に東一、東二と計六つの郭があり、それぞれの間には空堀があって独立している。主郭が先にでき、だんだん追加されていったと思われる。東二郭の東を「竹の花」というのは、「館の鼻先」の意であろう。
3、 土塁
城の南側に土塁を築き、人馬の繰り出しを的に見えぬようにしてある。土塁の中間に門らしい所が二か所ある。北側は絶壁のように切りたった比高約20mの要害で土塁はない。
4、 水の手
城の南側と北側に小川があるが、わざわざ今泉やアワラから流れをまわして来たあとがみられる。本城の東に金池と呼ぶ湧水池もあるが今は水が枯れている。

平成21年8月 北熊井区

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