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安曇野 等々力城跡

等々力城跡

「南安曇郡誌」によれば「等々力城跡は穂高町等々力の北端に位置し、北は穂高川に臨み、南はざぼり川に接して、これらの両河川を天然の堀としている。」とあるが、この「ざぼり川」の位置が分からない。地元の人でも名前すら聞いたことがないという。
城跡の南側に接して東に流れて土塁に接して北に屈折する川はあるが、それは「欠けの川」だとのこと。
「欠けの川」=「ざぼり川」ということで納得できるのなら何も問題ないのだが、 周囲には明治期以降に掘られたわさび田があるからややこしくなる。







等々力城虎口跡

「ざぼり川」を「ざんぼり川」、すなわち「残堀川」と考えたらどうだろう。字義通り「堀だけが残る川」だ。 増水時には水が流れるが普段は流れがない堀のような川。
わさび田は水脈に沿って掘り上げたと思われ、 「残堀川」はわさび田によって消滅してしまったものと考えられる。
そうであれば、城跡の南側に位置するわさび田こそ「ざぼり川」の名残ということになる。 この仮説を立証すべく何度か現地に足を運び、空撮写真も検討したところ、それらしきわさび田を確認することができた。






等々力城本郭跡

等々力氏の菩提寺・東光寺の裏手から等々力家の前方に続くわさび田がそれだ。
これを外堀とすると「欠けの川」の外側が二の郭ということになり、本郭南側に位置する墓地あたりが外殻の虎口ということになろうか。 墓地脇には桝形の趣きが僅かに残る。
でも、「欠けの川」=「ざぼり川」という考えも捨てきれずにいる。 「欠けの川」を水が無くなることもあるという意味だとすれば、「残堀川」の字義と全くおなじだかえらだ。
ともあれ、戦国惚けの眼にはわさび田が堀に見え、掘り上げた土砂の堆積が土居に見えたりして、 あれやこれやと楽しんでいる。


2012年6月8日

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