安曇野風来亭 道楽日誌 操業日誌 戦国山城散歩 キノコ図鑑 小平漁協書籍部 自己紹介

風来亭 フォト日誌

伊那 船山城跡

船山城跡

伊那を訪れたからには信濃の名族とされる片切氏の本拠地を見ておきたいものと、行ってきました船山城跡。
立派な石碑や案内看板は建っていたものの、肝心の遺構が定かでなく、二の郭跡といわれる御射山神社の境内回りや 果樹園となっている一の郭と二の郭を隔す堀切状の地形、本郭先にある笹郭(出丸?)に群生する矢竹に、城跡の雰囲気が微かに感じられるだけでした。





2012年3月4日


長野県史跡 船山城跡 昭和55年8月8日指定 (現地説明看板)

この城跡は、平安時代末から室町時代末に至る四百有余年にわたり、伊那地方に栄えた信濃の名族、片切氏によって築城されたものであり、天正10年(1582)に織田氏の侵攻によって落城したと言われるまで同氏の本拠地になっていたところである。
城跡は、下伊那郡松川町城の集落とその東方に延びた河岸段丘の先端の地形を利用して構築されている。南は南沢の渓谷、北は天神ぴらの急斜面で、上伊那郡中川村南田島に面し、天竜川及び天竜川の東の丘陵地帯を展望できる要害の地に位置している。また、西方より東方に細長く突き出した形状が船を山上に置いた如くに見えることから、船山城の呼称がおきたものであろう。
城跡の規模は、出丸と呼ぶ船山一帯の郭地域(中世前期)及び城畑一帯の本城地域(中世後期)の二地域で、本城には大規模な二つの郭が、出丸には大小4つの郭が設けられている。城内の北隅には、守護神の御射山神社を祀り、場外に接して瑞追う寺(もとは宝珠院)があり、一帯は古城館跡の遺構をよく残しており、この地方の代表的な中世城館跡である。

長野県教育委員会

<< BEFORE<< >> NEXT>>