安曇野を流れる犀川と高瀬川が合流する地点は軍事的に枢要の地であり、
犀川右岸にある塔ノ原城に相対する山城があるはずだと調べてみたところ、合流地点に半島状に突き出ている押野山に
仁科一族の日岐氏に属する押野城があったことが判明。白鳥が飛来する御宝田から眺められる山だ。
じつは今回は再挑戦。過日の攻城は事前調査不十分で道に迷い、キノコの戦果だけであえなく敗退。
ネット上で入手した宮坂先生の縄張図を参考にして目星をつけた地点に直行、
明科の塔ノ原から明科橋を渡って池田方面へおよそ300メートル、
右側に「テレビ塔入口」のバス停があるのでそこを右折して山道に入る。
集落を抜けて林道を300mほども登ると左手に耕作放棄地のような広い斜面(城の平)、
右手の「くじら雲」の小さな看板があるスペースに駐車。
城跡は林の中にひっそりとあった。
前回よりも木々の葉が落ち多少は見通しが良くなった藪の中に潜り込むと、すぐに帯郭と切岸状の地形、 侵入を拒むかのような獣の溜め糞のある細いけもの道をさらに進むと、 小さな祠と「押野城跡」の石碑があり、ここが本郭のようだ。 本郭から北に下りる尾根と東斜面には何段かの段郭があり、犀川方面に備えている。 押野山のより奥の高所への築城もあったろうに、 犀川や会田川、高瀬川方面への監視や出撃機能を優先したためだろうか、 その時代性の中での役割に興味があるところだ。