地元有志によって寺尾の茶臼山城に建てられた説明看板によって、新田義重の墓が近くの永福寺にあることを知った。
新田義重は源義家の三男・義国の嫡子であり、新田氏の始祖であり、山名氏、里見氏などの祖となった武将だ。
源頼朝が平氏打倒の兵を挙げた折に寺尾に兵を集めて動きを見せなかった。
そのため頼朝の不興を買い、その後の新田義貞に至るも鎌倉幕府から冷遇されたとされる。
あるいは源義平の未亡人だった娘の祥寿姫を頼朝の側室に差し出さなかったからとも言われる。
永福寺の墓地は思いのほか広かったので庫裏で尋ねると、ご親切にもご住職自らご子息とともに義重の墓まで案内してくださり、
寺の来歴や改葬した折に骨壷が出た話などをしていただけた。寒気にも関わらず気軽に軽装で長時間案内していただいたので、
風邪を引かれないかと妻ともども心配したのではありました。
寺に登る階段の入口にあった石仏が、茶臼山城の本郭と大手口にあったものと似ていたので、
いずれも永福寺に縁の大師がモデルか、あるいは同じ彫師かと推測したが、お尋ねするのを失念した。
新田義重の墓は太田市の大光院にもあり、こちらは徳川家康が義重を徳川氏の始祖と言い張る?ために建立したもののようだ。
同じ太田の徳川町には夫妻のものと伝わる宝塔もあるという。