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上田・岡城跡

岡城縄張図

ここしばらく安曇野通いが続いている。毎回、高速道路というのも飽きたので、今回は峠越えで安曇野から高崎に帰ることにした。 青木峠を越えて上田に向かう松本街道はヤマザクラやヤマブキが咲き乱れるのどかな山里を巡る道だ。 あわよくば帰りがけの駄賃に山城の一つでも攻めることができればと・・・・・
上田市に入るとすぐに「岡城跡公園」の標識を発見、浦野川の崖端に築かれた武田方の平城だ。
「公園」とはいうものの、駐車場も無く、幅広い堀跡に囲まれた小高い丘に東屋と祠があるだけ。 ここが本丸跡かとも思ったが縄張り図と引き比べてみると土塁のほんの一部でしかないことに気がついた。 本丸跡は土塁の内側にあり、現在は市営住宅の建物で埋め尽くされている。 堀跡の広さといい、土塁の高さといい、三日月堀を3ヶ所も設けるなど、想像以上に広大な城だったようだ。
村上義清を越後に追いやった後、占領地の統治と対上杉の一大拠点であったというのも頷けた。


2011年5月6日


岡城縄張図

岡城跡(現地案内看板)

岡城跡は武田信玄の家臣馬場美濃守信房の縄張りにより、天文年間末に築城されたと考えられる。 内濠・外濠の外に武田氏独特の三日月濠のある大規模な初期の平城である。
天文22年(1552)村上義清の葛尾城(坂城町)を落としてから、 永禄3年(1560)松代に海津城を築くまでの6年間、武田勢の川中島進出の貴重な前線基地であった。
城の規模は東西460メートル、南北365メートル、面積約7万5千平方メートルである。
3か所の三日月濠をはじめ、内濠・外濠の大部分が埋められて田や住宅地に変わってしまったが、いまだ旧形をたどることができる。 武田流の三日月濠のあった小諸、長沼などの城がともに埋められて、当時の城郭の様が全く失われている現在、岡城跡は貴重な遺構である。

上田市教育委員会

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