久しぶりに訪れた長岡市。
城跡は何も無いと聞いていたが、
待ち合わせ場所の西口駅前ロータリーの片隅に建てられている本丸跡の石碑を偶然に見つけたので、
すぐ近くにある大手通り近くに立つ二の丸跡の石碑も訪れてみた。
戊辰戦争時に武装中立を唱えながらも心ならずして維新政府側と戦わざるを得なかった長岡藩。
城跡が跡かたもなく消え去ったのは長岡藩が官軍に対して頑強に抵抗したことへの腹いせかとも思ったが、
実際には鉄道開通に伴う駅舎の建設によって本丸の堀も土塁も埋め立てられたことによるとか。
さらには、真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官の山本五十六の出身地であることから、
アメリカ軍の激しい空爆によって市街地も徹底的に破壊されたとも言われている。
東日本大震災の惨状をふと思い浮かべた。
城跡に残されたのは本丸跡と二の丸跡の石碑だけとか。
これほどまでに徹底的に跡を留めない城跡を他に知らない。